スタッフ
監督: ヘンリー・ハサウェイ
製作: チャールス・ブラケット
脚本: フランク・フェントン
撮影: ミルトン・クラスナー
音楽: バーナード・ハーマン
キャスト
フッカー / ゲーリー・クーパー
リア / スーザン・ヘイワード
フィスク / リチャード・ウィドマーク
フラー / ヒュー・マーロウ
デイリィ / キャメロン・ミッチェル
マダリアーガ / ヴィクター・M・メンドーサ
歌手 / リタ・モレノ
船長 / フェルナンド・ワグナー
バーテン / アントニオ・ブリビエスカ
日本公開: 1954年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
引き続きリチャード・ウィドマーク。ただし、今回は彼が主役ではなく、脇役としての登場。主役は大スターのゲーリー・クーパー。それでも『彼の映画』と呼べる娯楽西部劇。
メキシコ、プエルト・ミゲル。1850年のこと。アメリカへ向う蒸気船が故障し、寄港した。修理には六週間程度かかるとのことである。
仕方なく酒場へ向う船客のフッカー(ゲーリー・クーパー)、フィスク(リチャード・ウィドマーク)、ディリー(キャメロン・ミッチェル)の三人。彼らはカリフォルニアに行き、金鉱探しをして一攫千金を夢見ていた。
そこへ、リア(スーザン・ヘイワード)が駆け込んできた。山奥の金鉱の落盤事故で怪我をした亭主を救出して欲しいとのことだった。報酬は一人2000ドル。法外の報酬に眼を輝かせる三人。しかし、酒場に居合わせたメキシコ人たちは首を横に振る。
何故なら、その金鉱は・・・
小気味良い展開を見せる西部劇の佳作。
一攫千金を夢見る三人の白人。一人は人生のヴェテランという風情。後はギャンブラーと賞金稼ぎ。そこへアメリカ人で、先に金鉱を発見した女が絡んでくる。更に、酒場にいたメキシコ人も加わり五人で山奥まで行くという展開で、金鉱に着くまでは、険しい断崖絶壁を通過するなど冒険譚として進行していく。
このあたりのシークエンスの繋ぎ方は、実にメリハリがあり、リズミカルなテンポで快調だ。まさしく映画全盛時代の作劇の妙を感じ取れる。
当然、ほぼ全員が腹に一物ある。向う先は金鉱で、間違いなく金があるからだ。現地では何かが起きるぞと思わせつつ、人妻の色気に感化されていく人物もでてくる。
そんな人妻を演じるスーザン・ヘイワードのファム・ファタール振りがよろしい。自らが色仕掛けで籠絡していくのではなく、男たちが勝手に自滅していくというタイプなのだ。
当然、それは金鉱で妻を待つ亭主も同様である。もしかしたら、妻は自分を見捨てて帰ってこないのではないかと疑念の塊になっているのだ。そこに男たちが同行してくるのだ。しかも、金鉱探しのアメリカ人たちだ。当然、いざこざが起きる。それから、いよいよインディアンの登場である。
緩急の付いた展開。ヴェテランのクーパーは頼り甲斐があり、思慮深いという設定である。しかし、俄然輝いているのは、クーパーではなく、人妻役のヘイワードでもなく、リチャード・ウィドマーク。
ギャンブラーにして詩人という役どころ。「綺麗な女が言うことは全部ウソだが、歌う唄は真実だ」「夕日が沈むな。毎日、そのときに誰かを連れ去っていく。今日は俺か」といった、実にアイロニーに富んだキザな台詞を連発してくる。しかも、それが実に様になっているから憎いのだ。「ゴーストタウンの決闘」(1958)でも、完全に主役を喰った男である。
また一方で、クーパーは本作と同年に作られた「ヴェラクルス」(1954)で脇役のバート・ランカスターに喰われた。
考えれば、クーパーは本作も「ヴェラクルス」もほぼ同じ役どころである。しかも舞台はメキシコと同じ。
当然、両作ともクーパーに華を持たせる展開なのだが、どうにも敵役の方が一枚上手なのである。大スターなのだが、この時期、何故か、分が悪い作品に出演していたという印象が強い。
些かストーリィは最後にトーン・ダウンし定石的になってしまうのが残念である。それでも、本作は「娯楽西部劇」という絶滅したジャンルとして、黄金時代の輝きを保っているといえよう。