スタッフ
監督:ブルース・ペレスフォード
製作:フィリップ・S・ホベル
脚本:ホートン・フート
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:ジョージ・ドレイファス
キャスト
スレッジ / ロバート・デュヴァル
ローザ / テス・ハーパー
ディクシー / ベティ・バックリー
ハリー / ウィルフォード・ブリムリー
スー・アン / エレン・バーキン
ソニー / アラン・ハーバード
ロバート / レニー・フォン・ドーレン
記者 / ポール・グリーソン
ヘンリー / ジェームス・アーロン
日本公開: 未公開
製作国: アメリカ アントロン・メディア・プロ作品
配給: なし
あらすじとコメント
ロバート・デュヴァル主演作にしてみた。頭髪が薄く、パッと目には決して二枚目ではない。しかし、独特の存在感を放つ男優であり、そんな彼がアカデミー主演男優賞を獲得した実に地味な未公開作品。
アメリカ、テキサス。周囲には何もないモーテルで目覚めたスレッジ(ロバート・デュヴァル)は、併設する給油所にいたローザ(テス・ハーパー)に声を掛けた。
どうやら一緒にいた知人と深酒の挙句、口論となり、大喧嘩をしたらしい。しかも、その連れは、二泊分の代金も払わず、一人で去ったという。
しかし、スレッジは無一文だった。代金は、ここの労働で返すと言う彼に、仕事中に飲酒だけは慎んでと答えるローザ。アル中の彼は、一瞬、戸惑うが、それでも今までの自分の生活に嫌気がさしていたこともあり、頷いた。
数日が過ぎ、酒断ちをしつつ、代金を返済し終わった彼は、ヴェトナム戦争で死んだ亭主との一粒種で、小学生の息子ソニー(アラン・ヒューバード)との慎ましい二人の暮らしを見て呟いた。
しばらく、ここで働かせてくれないか・・・
酒で身を持ち崩した中年男の再生を描く静かなる人間ドラマ。
かつては人気カントリー歌手であった男。酒に溺れ、暴力を振い、いつしか誰からも相手にされなくなっていた。
そんな男が、静かで穏やかに暮らす母子家庭の姿を見て、自分の人生を見つめ直す。
ありがちで単純な内容。登場人物も、皆が等身大である。それゆえか、上映時間も90分を切る小品である。
そんな本作で用いられるのは、まるで「アメリカン・ニュー・シネマ」のティストをそのまま踏襲した作風。
己の弱さに溺れ、人生の底まで沈んだ中年男というのが、従来の若者の『自分探し』とは違うし、広大な北米大陸を旅しながら、偶然知り合う人間たちとの交流でもないのが、少しは違う視点だろうか。ただ、破天荒な人生を過ごしてきた挙句に、流れ着いたのが、広いだけで何もない場所なのである。
そんな場面からスタートするのだが、ある意味、遅れて来た『自分探し』である点は同じだ。進行も、徐々に主人公の過去を明らかにしていくという、まったく奇を衒わないスタイル。
本人が語らずとも、彼の過去を説明する人間たちが登場して来るのであるが、少々、説明し過ぎの感は否めないとも感じた。
ただし、くどくどという類ではなく、簡潔な台詞の切り回しや、適度な端折りがあり、あくまで俳優たちの、まったく「普通の人間」の自然さを漂わせながらの表現である。
つまり、ほぼメリハリがなく、本当に、「普通の人生」の断片が淡々と点描される。確かに、ドラマティックなストーリィの起伏はあるが、それも、「普通の人間」としての人生で起こりうる『劇的変化』。
しかし、そう思わせる作劇は、完全に意図されたものである。例えば、それぞれの人生に関わる大事なことは、直截的に画面で描かないことで、観客に感情移入させづらくしているといった、あくまで観客の想像に委ねるという作為性。そもそも、主人公の設定が、南西部が主軸のカントリー・ミュージック界だけの『かつての大スター』であり、全米の誰もが知っているという大メジャーではないという、立ち位置にも反映されている。
何といっても、自ら過去を語らずとも、かなりな人生を過ごしてきたであろう雰囲気を常に漂わせる主人公を演じたロバート・デュヴァルが見事である。
何てことない立ち振る舞いや、僅かに動く視線など、惚れ惚れするほど。アカデミー賞を受賞するだけの圧倒的『普通なる』存在感である。
まさしく彼のための映画であり、それ以外の何物でもない。そういった小市民ドラマであり、地味過ぎるがゆえに、日本未公開となったのも頷ける。
だが、本作に賭けたデュヴァルの意気込みは、制作協力に名を連ね、自らが作曲した2曲を含め、実に渋い自らの声で5曲も歌を披露している点にも垣間見られる。
彼が名優と呼ばれるだけの所以が、感じ取れる作品であることは間違いない。