スタッフ
監督:マイケル・ウィナー
製作:ディノ・デ・ラウレンティス
脚本:ウェンデル・メイズ
撮影:アーサー・オ-ニッツ
音楽:ハービー・ハンコック
キャスト
カージー / チャールス・ブロンソン
ジョアンナ / ホープ・ラング
オチョア警部 / ヴィンセント・ガーディニア
トビー / スティーヴン・キーツ
クラウツァー / ウィリアム・レッドフィールド
キャロル / キャサリン・トーラン
ジェインティル / スチュワート・マーゴリン
闖入者 / ジェフ・ゴールドブラム
スプレー缶 / グレゴリー・ロザキス
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ D・D・ラウレンティス作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
チャールス・ブロンソン主演作。ただし、愛妻のジル・アイアランドは出演していない。「西部開拓時代」的発想で、『正義』を問う、アメリカならではの犯罪映画。
アメリカ、ニュー・ヨーク。土地開発会社に勤めるカージー(チャールス・ブロンソン)は、妻ジョアンナ(ホープ・ラング)とハワイでの休暇から戻った。
最近は、ニュー・ヨークも物騒になり、犯罪発生率は上昇し、逆に検挙数は減っていた。そのことを不安に感じながらも仕事に戻るカージー。だが、その予感は的中してしまう。妻が嫁いだ娘と買い物から戻ったとき、若い3人組の強盗に押し入られ、娘は強姦されて廃人同様になり、何と、妻は殺されてしまう。
言いようのない悲しみと、持っていき場のない怒りに震えるカージーであったが、警察の捜査は、遅々として進まない。会社は彼を気遣い、気分転換を兼ね、アリゾナでの共同開発プロジェクトに送り込んだ。
そこでプロジェクトの相手であるジェインテル(スチュワート・マーゴリン)と知り合う。カージーに影を見たジェインテルは、彼を射撃に誘った・・・
『眼には眼を』的正論で、犯罪者たちに立向かう男を描く異色作。
家族を失い、心に傷を負った中年男。彼には大問題でも、犯罪発生が後を絶たない大都会では、警察側からは単なる「一事件」である。
始めこそ、警察に頼り、犯人検挙に希望を託す一市民。だが、警察は捜査もしていないと知る。そんな彼が「フロンティア・スピリッツ」が残るアリゾナに行き、時代が進みすぎて、忘れ去られた昔の価値観に触れる。
それは『自衛』の論理である。つまり、悪者は殺して構わないという考え。
そこに「銃社会アメリカ」の病巣が浮かび上がる。正義の実行のためには銃によって制圧して良いという価値観。
そんな考えに目覚めた主人公は、「銃」を得たことで『復讐の鬼』と化す。しかも相手は弱者に凶器をチラつかせ暴行を加え金品を奪う若き犯罪者たちだ。しかし、そんな彼の行動により、犯罪発生率が激減していくという皮肉。
つまり、警察権力より、主人公が犯罪者たちを震え上がらせることで、逆に民衆たちからは、どこかで待ち望んでいた、ある種のヒーローだと祭り上げられていく。
確かに、日本でも卑劣な犯罪ばかりが扇情的に報道されている。しかし、日本には銃がないし、「自己防衛」以上の「過剰なる自衛」という発想は未だにない。
だが、法律では少年などはかなり優遇されているのも純然たる事実であり、犯罪被害者やその家族たちからすれば、相手が逮捕され、法で裁かれても刑期が軽すぎると思う人間も多いだろう。
しかも人権派弁護士なども、「死者よりも生者」の人権という正論で押してくることに憤りを覚える人間もいるだろうか。
そういう価値観を持つ人間には、肩入れしたくなる設定の主人公である。
しかし、警察も黙って見過ごす訳には行かぬ。捜査を重ね、何とか捜しだそうとする。
当然である。しかし、そのとき警察上層部や検察が何を考えるのか。
シュールでクールな展開と受け取るか、さもありなんと感じるか。その感じ方で、ある種カタルシスを覚えるか、ブラックなギャグ映画と失笑するかの分かれ目になろう。
しかし、本作は至って真面目に作ってある。
もし、本作を見て「開拓時代の正義」として夢を重ねるアメリカ人が多いとしたら、自分は実際には行きたくない国の筆頭に挙げるだろう。
そんな本作はアメリカで受け入れられ、シリーズ化された。