先週末は、あの大震災から丁度、一年の節目であった。
その日、自分は茨城県北部の大洗近くに滞在していた。震災後、東京での仕事を辞め、年老いた母親が住む大洗からほど近い、小さな漁村を傍らに持つ地の実家に戻った、知人を訪ねたからだ。
ついでだから、前日に入り、彼の実家近くに宿を取り、一泊した。何てことない、「アンコウ鍋」が食べたいという、邪な考えもあったが。
着いた日は、駅まで出迎えにきてくれた知人夫婦の車で、雨のそぼ降る中、近くを車で案内してもらった。重い空の下、強風の所為で波が打ちつける海岸の向こうに見えたのが、数本の煙突が並ぶ海沿いの場所。
東海原子力発電所である。静かに拡がる光景に、妙に胸が騒いだ。知人は、もしあそこで何かあったら、ここにはいられません、完全に10キロ圏内ですから、とつぶやいた。何も言えなかった。
また、ご夫婦が 母親と住む家の近くには、震災で落ちた屋根瓦を未だに修理出来ていない民家も点在し、道路もあちらこちらで、隆起や陥没したままである。
この地も被災地であるのだと痛感した。そのあたりは、第3セクターが運営するローカル線が30分に一本というペースで走り、生活物資を扱う店が二軒のみ。居住者も高齢者ばかりだという。
そんな中、とても気遣っていただき、何度も宿まで足を運んでもらい、またアンコウ鍋も美味しく、望外に愉しい滞在であった。
震災から丁度、一年の当日、戻った東京は暖かな青空が拡がっていた。当然だが、電車は時刻表通りに動き、すべての商店が営業をし、多くの人が去来していた。
忘れはしない。だが、忘れたいとも思う気持ちが心の片隅に宿った。