スタッフ
監督:ロバート・アルドリッチ
製作:ロバート・アルドリッチ
脚本:ヘンリー・ファレル、ルーカス・ヘラー
撮影:ジョセフ・ビロック
音楽:フランク・デ・ヴォル
キャスト
シャーロット / ベティ・ディヴィス
ミリアム / オリヴィア・デ・ハヴィランド
ドリュー医師 / ジョセフ・コットン
ヴェルマ / アグネス・ムーアヘッド
ハリー / セシル・ケラウェイ
ビッグ・サム / ヴィクター・ブオノ
ジュエル / メリー・アーサー
メイヒュー / ブルース・ダーン
フォアマン / ジョージ・ケネディ
日本公開: 1965年
製作国: アメリカ アルドリッチ・プロ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
今回も、怪しげなドクターが登場する作品。その上、女性のある種、『取り憑かれた』恐怖をも味わえる作品。何故か、当時、この手の映画ばかりを撮っていた、本来、男性映画の雄、ロバート・アルドリッチの作品。
アメリカ、ルイジアナ。荒れ果てた農園の中の邸宅に、ひとりで住む、シャーロット(ベティ・ディヴィス)。彼女は自閉症気味、というか、かなり精神を病んでいるようであった。
そんな彼女の面倒を見るのは、文句ばかり言う家政婦ヴェルマ(アグネス・ムーアヘッド)と医師のドリュー(ジョセフ・コットン)のみ。しかも新たに幹線道路用地として農園内の邸宅は没収される運命だった。しかし、頑なにそれを拒むシャーロット。それは何故か。
そんな折、数十年振りに義妹ミリアム(オリヴィア・デ・ハヴィランド)がイギリスから帰国して来た。複雑な表情を浮かべるシャーロット。
それは37年前に、この邸宅で起きた凄惨な殺人事件が絡んでいたからだった・・・
首なし殺人事件の幻影に取りつかれた人間たちの身の毛もよだつ後日談を描く作品。
大農園の一人娘。父に溺愛されて育ったが、恋人に選んだのは妻子持ち。そのことを知った父は激怒する。当然である。しかも、実はその不倫カップルが駆け落ちを予定していた晩、一人娘の住む邸宅で催されている盛大なパーティーの最中、相手の亭主が首をはねられるという形で惨殺される。
映画はそれから37年後、呪われた家に独りで住む壮年になった元娘の無残な姿から、秘密を一枚づつ剥がすように進行し始める。
当時、血みどろだった一人娘が疑われたが、証拠不十分で不起訴。事件は迷宮入りしたままである。そこへ美人で聡明そうな義妹が帰国してくる。
更にストーリィ・テラーとして、イギリスから派遣された保険調査員も絡んでくる。
主要キャストはそれぞれが腹に一物ありそうであり、それがサスペンスを喚起して行く。
ある意味、王道の展開で、37年前の殺人犯人は誰かという謎解きとして進行して行くのだが、それとは別の事態も起きて行くという、欲張った内容でもある。
しかも、主要キャストは『往年』の大スターたち。主人公、義妹、医師の主要キャスト三人の他にも、アグネス・ムーアヘッドやメリー・アスターなど、大変に、「お懐かしい顔ぶれ」が並ぶ。
この手の往年の大スターたちが共演し、まだまだ現役だぞと熱演する作品はビリー・ワイルダーの秀作「サンセット大通り」(1950)からだろうが、本作の主役を熱演しているベティ・ディヴィスが主演し、これもまた、お懐かしいジョーン・クロフォードが共演した「何がジェーンに起こったか」(1962)で、一挙にこの手の、かつての美人女優なり大女優が老醜をわざと晒して熱演する作品群が排出された。
本作もその一本であり、主役、監督、制作会社と共に同じ。つまり、本作は、「何がジェーンに起こったか」の柳の下のドジョウを狙った作品なのである。
大どんでん返しを予感させつつ進行するが、そこは当時の作品。
訳知り顔の保険調査員など、サブキャラの扱いも不自然だし、ヒッチコックやら、イギリスやフランス映画を意識した白黒スリラーの画面構成など、かなり頑張ってはいるが、そこは『男性映画の雄』アルドリッチだ。かなり無理がある。
しかも、トーキー初期から活躍していた大女優陣の演技も、甚だオーバー・アクトと感じざるを得ない。
ある意味、そういった時代に活躍した人間たちや映画群へのオマージュとして取るべきだろうか。
間違っても「サンセット大通り」と比べてはいけない。