恐怖の逢びき – MUERTE DE UN CICLISTA (1955年)

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スタッフ
監督:ファン・アントニオ・バルデム
製作:スエヴィア・セザレオ・ゴンザレス 他
脚本:ルイス・F・デ・イゴア
撮影:アルフレッド・フライレ
音楽:イシドロ・マイステギ

キャスト
ジョゼ・マリ / ルチア・ボゼー
ソレール / アルベルト・クロサス
マチルデ / ブルーナ・コラ
カストロ / オテリオ・トソ
サンドヴァル / カルロス・カサラヴィリア
ドニア・マリア / フリア・デルガド・カロ
ヴィエシナ / マチルド・ムノス・サンペドロ
クリスティナ / メルセデス・アルベール
カルミナ / アリシア・ロメイ

日本公開: 1956年
製作国: スペイン、イタリア S・S・ゴンザレス他 作品
配給: 新東宝、新外映


あらすじとコメント

今回も、恐ろしいを女性心理を描いた作品にしてみた。ただし、ヒロインは美人である。あまり馴染みのないスペイン映画だが、白黒の陰影とシャープさが際立つ隠れたる佳作。

スペイン、マドリッド郊外。とある夕暮れ時、人の気のない農道を走っていた自転車の男を一台の車が轢いた。乗っていたのは、大学助教授のソレール(アルベルト・クロサス)と人妻ジョゼ・マリ(ルチア・ボゼー)。帰路を急ぎながら、密会の余韻に浸っていての不注意だった。

運転していたソレールは車から降りると、まだ息のある相手を病院に運ぼうとした。しかし、金持ちの亭主を持つジョゼ・マリは、周囲に誰もいないことを確認すると、置き去りにして逃げようと懇願する。確かに、不倫がばれるのは、お互いに大問題である。ソレールは彼女の提案を受け入れた。

翌日、ジョゼ・マリや亭主、ソレールが素知らぬ顔で参加していたパーティで、知人であり、彼らを快く思っていないサンドヴァルという男が、昨日の夕方、ジョゼ・マリが亭主でない男と車に同乗しているを見たと意味ありげに言いだして・・・

ありがちな不倫ドラマを独特のタッチで綴る意欲作。

独身だが、どこかマザコン気味の大学助教授と美人を武器にして、金持ちの玉の輿に乗った人妻。

どう考えても、双方『弱さ』と『脆さ』を持つ男女の不倫。そんな二人が、助けられた命を見捨てる。

そこから、意味深な知人や、人妻の亭主、果ては、助教授の情緒不安定さから落第させられる女子大生が絡んでくる。

時代を考えれば、そういった背景から想定外の物語は起こらない。ある意味、単純であり、落とし所も想定内であろう。

それをモノクロのスタンダード画面で見せられる。しかも、一時間半にも満たない中で、ストーリィの起伏で誤魔化そうとするスピーディさもない。

そこで重要となるのは監督の個性。その点、バルデム監督の独特のリズム感に酔えた。

ヨーロッパ映画としては括れるが、フランスやイタリアとも違い、イギリスでもないという何とも、奇妙な雰囲気が漂う。

ただし、個人的には、どこか、日本の岡本喜八監督のリズム感に似ていると感じた。

それは独特の編集のリズム感。サスペンスを提起しながら、一定の「トン・トン・ツー」というカッティングで場面転換をする。

それと、かなり意識したアップの連続による緊張感と不安定感。そして白黒を意識したライティング。

つまり、全体の流れを考えた上に、要所要所で敢えて、リズム感を崩すという演出術。

何とも心地良いリズムだと感じた。そういった感覚で見ると、ワンカット毎に、監督が砕身したであろうと推察できる。

ある意味では、計算し尽くされた意図が鼻に付く人間もいるだろうが、それはそれで間違いなく『作家性』と呼べるものであり、こちらの勉強不足を棚に上げるが、馴染みのないスペイン映画というスタンスが感じられた。

出演者では、ヒロインを演じたイタリア人ルチア・ボゼーが、いかにも美人で、単なるワガママの情緒不安定さを醸しださせて、さもありなんと感じた。

また助教授役のアルベルト・クロサスは、少し線の細い役柄を体現し、またヒロインの亭主役に、クロサスに、どこか似た風情の役者を起用したのも、監督の強い意志が感じられる。

ヒロインとは逆な意味で助教授に、重要な影響を与える、素直で快活な女子大生役は、ヒロインと対極のイメージというのも男性陣とは別な意図が感じられる。

やはり、随所に監督のこだわりと作為性が散りばめられている。

不倫ドラマとしては、当然の帰結であり、かといって『三方一両損』とも違う筋運びに、いつになっても身勝手な恋愛はロクなことにならないと感じさせる作品。

余談雑談 2012年5月26日
今週、地元は賑やかな一週間だった。 二年振りの三社祭から、月曜は金環日食。火曜日は東京スカイツリーの開業。 それこそ、お祭り騒ぎの一週間であった。しかし、日食にしろ、開業にしろマスメディアの騒乱振りは、一体、何であったのだろうか。 確かに新