スタッフ
監督:セシル・B・デミル
製作:セシル・B・デミル
脚本:フレドリック・H・フランク、チャールス・ベネット 他
撮影:レイ・レナハン
音楽:ヴィクター・ヤング
キャスト
ホールデン大尉 / ゲーリー・クーパー
アビー / ポーレット・ゴダード
ガース / ハワード・ダ・シルヴァ
ガイアスタ / ボリス・カーロフ
ラヴ / セシル・ケラウェイ
フレイザー / ワード・ボンド
ハンナ / キャサリン・デミル
スティール大尉 / ヘンリー・ウィルコクスン
ダイアナ / ヴァージニア・グレイ
日本公開: 1951年
製作国: アメリカ パラマウント作品
配給: セントラル
あらすじとコメント
前回の「失われた週末」(1947)で、非常に印象的なバーテンダー役を演じたハワード・ダ・シルヴァ。どこかで見た俳優だと思っていて、思い出したのが本作。アメリカがまだ独立する前の冒険譚。
イギリス、ロンドン。1763年のこと。逮捕されそうになった弟を助け、警官を殺してしまい、殺人罪で有罪判決を受けたアビー(ポーレット・ゴダード)は、死刑を取るか、植民地である流刑地アメリカで14年の強制労働を取るかの選択を迫られた。アビーは、奴隷として生きる選択をした。
そんな彼女は、アメリカへ護送される船上で強欲な商人ガース(ハワード・ダ・シルヴァ)に見染められてしまう。どうせ、売られる身であるのだと奴隷商人に身売りを要求するが、同船していたイギリス軍人ホールデン大尉(ゲーリー・クーパー)が、競って来た。激しい競り合いの結果、ホールデンが落札。
だが、アメリカに到着すると、「君は自由の身だ」と言い残し、婚約者の元へ行ってしまう。しかし、腹黒いガースはそのことを知り、奴隷商人に不敵な笑みを浮かべて近付いた・・・
当時のハリウッド映画が得意とした、冒険活劇を絵に描いたような大作。
物語は、悪徳商人が契約書を偽造し、ヒロインを他の奴隷たちと一緒に連れ去ってしまう展開へ。しかも、主役は遊びで競り合っただけで、落札金を支払っていないと嘘をつき、信じ込ませてしまうのだ。
それを素直に信じて、主人公を逆に、自分を冒涜した男と思いこんでしまうなど、いきなりのご都合主義的展開。
後も、かなり、強引な展開が待ち受ける。
主役は主役で拝金主義の恋人に裏切られ傷心しつつも、単身、風雲急を告げるピッツバーグ近郊へ向かう。そこでは幾つかの砦を統治する英軍めがけ、三つの先住民部族が、協調し、襲撃するか否かの討議が行われていた。
しかも、一つの部族の首長の娘と結婚している悪徳商人は、彼らに銃を密売し、扇動するような男。
イギリス軍側は、何とか和平に持ち込みたいので、主人公に密命を下す。
そこから、ヒロインとの再会あり、主人公と先住民や軍隊との誤解など、次から次へと転がって行く寸法。
ゆえに2時間半を超える長尺作品に仕上がっている。だが、監督は後に超大作「十戒」(1956)を作ったセシル・B・デミルである。
ツボを押さえ、メリハリの緩急をつけ、それなりに見せて行く。ただし、詰め込み過ぎという難点から、かなりご都合主義的展開で繋げないと、時間内で納まらないので、強引さも感じる。
その上、大掛かりな群衆シーンは少なく、アクション場面も地味目のものが多いのも難点か。ただし、小船での激流下りのシーンや主人公が、単身で先住民たちの元へ乗り込んでいく場面などは良く出来ている。
そうはいっても、登場人物たちの首を傾げたくなる、まどろっこしい性格設定も多く、後々まで物語を引っ張るためにというのは理解できるが、そこまで伸ばすかとあきれたのも事実。
だが、決してツマらない作品ではない。そこは流石のデミルである。ただし、代表作ではないと感じざるを得ないのも事実なのだが。
出演者の中では、クーパーはいかにもクーパーらしく格好良いし、ヒロインのポーレット・ゴダードも汚れ役ながら美しい。
しかし、何と言っても、先住民の首長を演じた、フランケンシュタインの怪物役で有名なボリス・カーロフの不思議な存在感が見事である。
一部の怪奇映画ファンにしか、その名を知られていないが、中々どうして上手い役者であると感じた。
個人的には、数多い登場人物を何人かカットしたり、性格設定を単純化して、もう20分ぐらい短縮するか、制作年度そのものが10年早ければ、このままの長尺でも、かなり面白い作品として刻まれたであろう娯楽作だと感じる。