スミス都へ行く – MR.SMITH GOES TO WASHINGTON (1939年)

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スタッフ
監督:フランク・キャプラ
製作:フランク・キャプラ
脚本:シドニー・バックマン
撮影:ジョセフ・ウォーカー
音楽:ディミトリ・ティオムキン

キャスト
スミス / ジェームス・スチュアート
サンダース / ジーン・アーサー
ペイン / クロード・レインズ
テイラー / ジャック・アーノルド
ムーア / トーマス・ミッチェル
ホッパー / ガイ・キービィー
上院議長 / ハリー・ケリー
スミスの母 / ビューラ・ボンディ
マックガン / ユージン・ポーレット

日本公開: 1941年
製作国: アメリカ コロンビア
配給: コロンビア


あらすじとコメント

今回もフランク・キャプラ作品にして、ジェームス・スチュワートとジーン・アーサー共演作。これまたキャプラらしい理想主義の映画化にして秀作。

アメリカ某西部。その州の上院議員が急死した。慌てたのは、同僚の上院議員ペイン(クロード・レインズ)と財界の実力者テイラー(ジャック・アーノルド)たち。

何故なら、彼らは私腹を肥やす目的で美しい渓谷にダム建設を進めようと法案提出を控えていたからだ。困ったペインらは、後任人事を州議会で政争の具にならないような人選に着手する。結局、白羽の矢が立ったのは、政治などまったく無知な少年団を指導するスミス(ジェームス・スチュアート)だった。純朴で理想に燃える青年スミスはペインに連れられてワシントンにやって来た。

初めて見る大都会。そして政治の中心である議事堂やリンカーン記念館を見て決意を新たにする。そんな彼のお守役兼秘書にサンダース嬢(ジーン・アーサー)が当てられた。

何も知らないのに、理想を切りだしたスミスに対し、サンダース嬢は・・・

常にあり続ける政治腐敗への楔をストレートに打ち込む秀作。

田舎の純朴な青年。周囲の腹黒い思惑など露知らず、理想に燃えて上京する。

ストーリィは解りやすい。現実を牛耳っているのは常に『財力』とそれに群がる『大人』である。そんな連中を敵に回したら、どうなるか。

古今東西、未だに、何ら変わりはない。事実、そうやって政治は動いているのだ、

当然、主人公は窮地に陥れられる。だが、キャプラである。

反拝金主義であり、何てことない市井の人間や貧乏人の味方である。そういう良い意味での『理想主義者』が勝利しなければ、この世は闇である。

それをストレートに謳い上げる。そんな馬鹿な、現実は絶対にそうはならない、と声高に言う御仁もいよう。正論であり、事実だ。

だからこそ、映画の中では、夢が現実となり、勝利して行く。これは、ほぼキャプラのヒューマン系作品群では鉄板の約束事である。

ゆえに、「薄っぺらい理想主義礼賛映画」と嫌う人もいよう。そういう方は、違う視点で映画を楽しむのだろうとも思う。

だが、ファンタジーで良いではないかとも思う。現実が厳しいからこそ映画に逃避する。そして、登場人物の誰かに、感情移入し、しばし現実を忘れる。

もしくは、この映画のようなことが現実に起きないだろうかと夢想する。それも映画の楽しみ方である。

ある意味で、SFよりもファンタジーだろう。誰もが主人公に同調し、これこそ理想と正義の勝利であるという人、政治家も含めてだが、大勢いるだろう。

しかし、現実はそうは簡単ではない。だからこそ、キャプラは、この手の映画を作り続けた。

解りやすい悪役、弱者だが正義の味方。そしてマスコミ。誰もが子供時代を思い出そうではないか、というストレートなテーマ。

しかし、考えてみれば、今の子供たちに、これほど素直で純真な夢や感情を持つものがどれぐらいいるだろうか。

それを考えただけでも、この映画の存在意義はあると感じる。

俳優の中では、いつも通りの役柄をいつも通りに、安心して見ていけるという点においてだが、演じるスチュアート、ジャック・アーノルドなど、流石と感じるが、本作で他の誰をも寄せ付けないほど、見事なのは上院議長を演じたハリー・ケリー。

熟練の政治家であり、酸いも甘いも噛み分けて来たと思わせながら、大した出番というか台詞もないのに、全員が主人公の敵に回る議内で、唯一、素知らぬ顔の理解者を演じて秀逸。

世界中の国で、この映画を見ると自分の政府に対して、重い気持ちになる人は少なくないと痛感させられる秀作である。

余談雑談 2012年7月28日
何だか妙な天候だった先週の東京。 梅雨が明けたのに「戻り梅雨」。急に肌寒さを感じる日があり、続いて、今度は矢鱈と暑くなった。 ふと、今年は蝉が鳴かないなと思っていた。いつもなら、眼下の公園から聞こえるものだ。鳴いたら鳴いたで、うるさいが鳴か