スタッフ
監督:ジョン・フォード
製作:バーナード・スミス
脚本:ジェームス・R・ウエッブ
撮影:ウィリアム・クロシャー
音楽:アレックス・ノース
キャスト
アーチャー大尉 / リチャード・ウィドマーク
デボラ / キャロル・ベイカー
ヴェッセルズ大尉 / カール・マルデン
シュルツ国務長官 / エドワード・G・ロビンソン
リトル・ウルフ / リカルド・モンタルバン
ダル・ナイフ / ギルバート・ローランド
レッド・シャツ / サル・ミネオ
アープ / ジェームス・スチュワート
ドク・ホリディ / アーサー・ケネディ
日本公開: 1964年
製作国: アメリカ ワーナー作品
配給: ワーナー・ブラザース
あらすじとコメント
やっぱりジェームス・スチュアート。今回も西部劇で、しかも有名保安官ワイアット・アープを演じた作品。ただし、あくまでも脇役だ。
アメリカ、南西部にある先住民居住地。この地に住むシャイアン族は一年前には1000人いたが、現在では300人弱にまで減少していた。慣れぬ土地で、政府からの食料や医療品を待つ間に天然痘やマラリア、果ては栄養失調から死んでいったのだ。
それでも、忍耐強く待つ彼らを心配気に見つめるしかできない管理側の第3警備隊のアーチャー大尉(リチャード・ウィドマーク)や子供らに英語を教えるクェーカー教徒である女性教師デボラ(キャロル・ベイカー)。
今日も炎天下の中、整列して政府からの使者を待つシャイアン族であったが、議員団は相手の尊厳を無視するような理由で、ないがしろにした。
遂に堪忍袋の緒が切れたシャイアン族は族長3名が協議のうえ、2400キロ離れた北方にある本来の土地へ戻ることを決め、深夜の内に居留地を脱走してしまう。そのことを知ったデボラは、同行を決める。一方、軍はすぐに討伐隊を派遣するように決定した。
だが、彼らの惨状に心を痛めていたアーチャーは・・・
西部劇の巨匠ジョン・フォードが贖罪の念を込めて描く大作。
生まれながらの戦士と称された誇り高きシャイアン族。ときは、既に和平が締結され、先住民居留地で管理されていた時期。
政府側は、完全に彼らを下等民族と認知し、遥か遠方のワシントンでは、彼らの虐げられた生活環境など、まったくの他人事であった。
実際に彼らを目の当たりにしていた主人公ら、白人の中には同情する人間もいたが、あくまで政府の決定なり、軍部では上官の命令に絶対服従である。
だが、追手として追尾する主人公は、すぐに武力によってでも戻すように命じられるが、何かと言い訳をして彼らを見守ろうとする。
しかし、司令官は冷徹であり、部下にもかつてシャイアンとの戦いで父親が戦死した将校もいて、彼らとの戦闘を熱望する始末である。
ここでも白人優位の思想が表面立つ。単に故郷へ帰り、そこで最期を遂げたいと願う民族。
当然、女子供も同行しているので、彼らはわざと人目を避けるように荒涼な土地を選んで移動して行くので、食料調達などの問題が顕著化していく。
つまり集団でありながら、幽霊集団としてに白人たちに伝わり、また大量に殺人を繰り返しているとの風聞が過大化されていく。
その途中にあるダッジ・シティで保安官を務めているのが有名なワイアット・アープだ。
演じるはジェームス・スチュワートであるのだが、どうにも、このシークエンスは頂けないと感じた。
ハッキリ言ってストーリィには、まったく無関係であり、何故かコメディ調でもあり、緩和剤として描きたかったのだろうが、何故、ここくだりにそれだけの時間を割くのか理解できなかった。それを含めての2時間半である。
シャイアン族の中での仲間割れや、彼らの処置に困る軍部、実情を理解しようとする司法長官などが絡み、多少のアクションも挿入されるが、どうにも全体としてはバランスが悪い。
主役のウィドマークの抑え気味の演技を含め、熱演するもの、手堅い演技を披露するものと、俳優陣も頑張っているし、流石のジョン・フォードと唸らせる広大なロケ場面など、ツボも抑えてある。
それでも、最後まで乗り切れなかったのは、全盛期を過ぎた監督のトータルとしての力量や、映画業界の西部劇そのものの終焉を痛感させたからだろうか。
嫌いな作品ではないのだが、どうにも冗長である。