シェーン – SHANE (1953年)

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スタッフ
監督:ジョージ・スティーヴンス
製作:ジョージ・スティーヴンス
脚本:A・B・ガスリー Jr
撮影:ロイヤル・グリッグス
音楽:ヴィクター・ヤング

キャスト
シェーン / アラン・ラッド
スターレット / ヴァン・ヘフリン
マリアン / ジーン・アーサー
ジョーイ / ブランドン・デ・ワイルド
ウイルソン / ジャック・パランス
ライカー / エミール・メイヤー
クリス / ベン・ジョンソン
トーリー / エリシャ・クック Jr
ルイス / エドガー・ブキャナン

日本公開: 1953年
製作国: アメリカ パラマウント作品
配給: パラマウント


あらすじとコメント

前回の「暗黒の恐怖」(1950)で、強烈なデビューを果たしたジャック・パランス。そんな彼が、同じように悪役として、以後の役回りを決定付けた、見事なる存在感を誇示した西部劇の秀作にした。

アメリカ、ワイオミング。春まだ浅き時期、一人の流れ者が農民スターレット(ヴァン・ヘフリン)と妻子の住む家に立ち寄った。彼の名はシェーン(アラン・ラッド)。

スターレットのひとり息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)は、父親とは違う雰囲気を持つシェーンに惹かれる。だが、すぐ入植者を嫌うライカーの一味が近付いて来た。シェーンをライカーの手先と誤解したスターレットは、すぐに立ち去ってくれと言い放った。頷くシェーンだが、少し様子をうかがうことにした。

ライカーは散々、一家を脅すと立ち去った。スターレットは彼を手先と誤解したことを詫び、ここに残ってはどうかと勧めた・・・

アメリカ映画史上、燦然と輝く名作の一本。

孤独な流れ者。過去に何やら傷を持つ男であることは、その雰囲気から漂う。

偶然、立ち寄った先は、無骨だが純朴な父親と美しく優しい妻と腕白坊主の一家。その人妻の美しさに心動かされる。

主人公の流れ者は、さまよう人生に疲れ、農民として、地に足を付けひたむきに頑張っている家族に心動かされ、自分も銃を捨てられるのではないかと想像する。

常に、ひとりで生きて来たのであろうと思わせる男。だが、そういった孤独な人生には、必要であったに違いない銃の腕前は計り知れない。どこかミステリアスでありながら、哀愁が漂う男。

そんな流れ者に、一家で一番最初に、興味を示すのは子供だ。人妻は、敢えて、何も触れないし、男も何も語らない。

一家の主は、武骨でストレート。その一家に、使用人として、腰を落ちつけようとする主人公。そこに立ち退きを迫る一団が絡む。

映画としては、悪役として描かれるが、彼らとて、昔気質の人間たちであり、時代に乗って行けないだけの単純な男たちなのである。

その証拠に、嫌がらせはするが、有無を言わせずに殺人は犯さない。

登場人物の誰にも各々価値観があり、単純な悪人は殺し屋のジャック・パランス以外に登場しない。

そこに本作の哲学がある。そういった描き方をすることにより「自由の国」としての基本があり、また「個人優先」という、微妙で奇妙な矛盾点が浮かぶ。

家族や入植仲間たちをまとめ、ゆくゆくは町にして行こうと頑張る農民。

南軍兵士として負けた若き移住者仲間は、虚勢を張っている。一方で、彼らを追いだそうとする地主も、自分が切り開いた土地なので、自分のものであると主張する。

その誰もがアメリカの代表として理由付けできる。だが、残念なことに結局は、銃に頼りざるを得ないという危うさが浮かぶ。

名匠ジョージ・スティーヴンスは、西部劇にアメリカの理想的家庭ドラマの要素を持ち込み、映画としての幅を拡げている。

俳優たちも主役のアラン・ラッドを筆頭に、皆、素晴らしい。特に虚勢を張る元南軍兵士を演じたエリシャ・クック Jrや、地主一家の子分役で、以後、名バイプレーヤーとして活躍するベン・ジョンソンは儲け役。

日本人の好きな「あうん」の呼吸を喚起させ、男として堪らない気質をも刺激する進行は、惚れ惚れする。

開拓時代のアメリカを集約し、その中で家族愛や友情をも描き込み、且つ、西部劇としての定石をも踏襲した秀作である。

余談雑談 2012年9月1日
先週末、屋形船に乗った。 経営者時代に何度か乗ったが、以前と比べて金額は半額だった。それでも、簡単に右から左という額ではない。 だが、残暑の夕暮れ時に「川面で酒」、「若い女性の同船者」と聞けば迷う。で、理性が負けたのだ。約30名での貸切との