スタッフ
監督:フリッツ・ラング
製作:ロバート・アーサー
脚本:シドニー・ボーム
撮影:チャールス・ラング
音楽:ミッシャ・バカライニコフ
キャスト
バニヨン / グレン・フォード
デビー / グロリア・グレアム
ケイティ / ジョスリン・ブランド
ラガーナ / アレクサンダー・スコービィ
ストーン / リー・マーヴィン
バーサ / ジェネット・ノーラン
ティアニー / ピーター・ホイットニー
ウィルクス / ウィリス・ボーティー
バーク / ロバート・バートン
日本公開: 1953年
製作国: アメリカ コロンビア作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
今回もグレン・フォード主演作。私怨に駆られる男のクールな行動をハード・ボイルド・タッチで描く、正統派フィルム・ノワールの佳作。
アメリカ、某地方都市。そこの警察署の刑事が自宅で拳銃自殺をした。第一発見者は妻。すぐさま殺人課のバニオン(グレン・フォード)がやって来るが、間違いなく自殺だと断定した。だが、上層部も単純な自殺事件としてそそくさと処理しようとしたことに、逆に不信感を抱くバニオン。
独自に調査を開始すると、すぐに地元の大立役者ラガーナから、圧力がかかった。確かに自殺だが、裏に何があるのだろうか。様々な推理を立てる彼だが、家庭では、最愛の妻と娘に囲まれた幸せな男でもある。しかし、仕事となると、鬼になるタイプでもあった。
益々、疑念を募られたバニオンは、直属の上司の制止を振り切り、更に、調査を進めていくと・・・
心優しき家庭人と仕事の鬼という二面性を持つ刑事が辿る非情な運命。
刑事の自殺に端を発し、捜査を進める主人公の状況を追うストーリィであるが、映画は冒頭から、誰が一体どのようなスタンスかを解らせてくれるので、推理モノとしての進行ではない。
では、何故、割とネタバレしつつ進行するのかと思って見て行くと、中盤、変調が起きる。
その変調が、中々、ショッキングであり、成程、以後の展開が、かなりハードになって行くぞと推察させる。
事実、中盤まで、モタついていた映画が、俄然、光りだすのだ。
ただし、どんでん返し的趣向はない。だが、注目すべきは、前半と後半で主軸になる女性が入れ替わること。そして更に、もうひとり映画全編を通して登場する女性。また別に、登場時間は短いが印象的な中年女性。
つまり、本作はタイプの異なる女性四人が、非常に印象に残る作品でもある。
では、男側はどうであるのか。私怨に燃える主人公を演じるフォードは、確かに頑張っているとは感じるが、どこかミスキャストのイメージを持った。
それに引き換え、悪役を演じるリー・マーヴィンの存在感は見事。
ノワールものの悪役といえば、ここでも以前扱った「死の接吻」(1947)でのリチャード・ウィドマークが強烈で、主役を喰う印象を与えたが、本作のマーヴィンもそれに匹敵する出来栄えである。
共通するのは「女性に対する扱い」。当時としては、かなり強烈であるが、本作では、その行為によって、自らも窮地に陥って行くという、中々良く出来たスパイラル的進行を見せてくれる。
大筋は主人公の辿る運命と、そこから派生する話であり、設定などは上手く出来ているとは思うし、フリッツ・ラング演出もドライで渋さを感じる。
だが、どこかB級っぽく感じるのは、キャスト全体の弱さゆえだろうか。このあたりに当時のメジャーであるが映画会社コロンビアの弱さを見てとった。
だが、別な見地から考えれば、だからこそ、コンパクトにまとまったB級ぽい妙味があるとも感じる。
適時に登場してくるサブキャラたちも味があり、厚みを持たせているし、そんな中でも、女性陣の印象が強く、特に後半の鍵を握るグロリア・グレアムの薄幸なファム・ファタール振りが、素晴らしい。
当時、粗製乱造気味の作品群の中でも、忘れられるには惜しいと思えるノワールものの佳作だと位置付ける。