招かれざる客 – GUESS WHO’S COMING TO DINNER (1967年)

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スタッフ
監督:スタンリー・クレーマー
製作:スタンリー・クレーマー
脚本:ウィリアム・ローズ
撮影:サム・リーヴィット
音楽:フランク・デ・ヴォル

キャスト
ドレイトン / スペンサー・トレーシー
プレンティス / シドニー・ポワチエ
クリスティーナ / キャサリン・ヘップバーン
ジョアンナ / キャサリン・ホートン
ライアン司教 / セシル・ケラウェイ
プレンティスの母親 / ベア・リチャーズ
プレンティスの父親 / ロイ・E・グレン
マチルダ / イザベル・サンフォード
ヒラリー / ヴァージニア・クリスティン

日本公開: 1968年
製作国: アメリカ S・クレーマー・プロ作品
配給: コロンビア


あらすじとコメント

ご贔屓俳優のひとりであるスペンサー・トレーシー。名コンビと謳われたキャサリン・ヘップバーンとは生涯の不倫相手であった。そんな二人の最後の共演作であり、トレーシーの遺作。

アメリカ、サン・フランシスコ。ハワイからの到着便から、若いカップルが降り立った。男は世界的に有名な医師プレンティス(シドニー・ポワチエ)で、女はジョアンナ(キャサリン・ホートン)だ。年の差はありそうだが、それよりも黒人男性と白人女性であったから、好奇の眼で見られた。そんな周囲を気にもせず、二人はタクシーに乗り込むと、彼女の母親の経営する画廊に向う。

だが、母(キャサリン・ヘップバーン)は外出中で、伝言を頼むとジョアンナの自宅へ行く。黒人女性のメイドも二人を見て驚くが、次の瞬間、プレンティスに対して侮蔑の目を向けた。直後、母親が帰宅し、結婚したいと告げる二人。

そこへ『人種差別全廃』を唱える新聞社の社主である父親のドレイトン(スペンサー・トレーシー)が帰宅してきた・・・

人種差別が当然であった時代に、それぞれの人間たちの価値観を問う社会派人間ドラマ。

「自由」であり「アメリカン・ドリーム」で地位を獲得して行ける国。だが、白人優先主義が根付き、継続的に横たわる国でもある。

今でも、その根底に流れるが価値観は存在し続けている。現に、オバマ大統領も「黒人初」と冠が付いて報道されたのは誰もが知っているだろう。

制作当時、黒人と白人の結婚を認めない法律が制定されていた州も20州弱あった時代だ。現在こそ、そんな州法はなくなったが、「同性婚」の認知度に受け継がれているとも思えなくもない。

そんな差別観を真っ向描いた作品。

確かに白人男性が遊びで黒人女性に手をだすのは、『男って生き物は』レベルで認知されていたらしいが、本作は黒人男性が白人女性と結婚するという話である。

ただし、その黒人は世界的に有名な医師で自分の価値観をしっかりと持っているエリートである。そして相手の父親はリベラル派の急先鋒という位置付け。

しかし、それが個人に直接関係することとなると話は別という展開は想像しやすいか。

「主義」と「人間」と「一人娘を持つ父親」。しかも、そういった人間たちは時間をかければ理解し合えるとも推察できるが、本作では、ある種、政治的判断にも似た、中長期的展望を生じさせないため、その日の内に恋人たちを旅立たせようとする。

つまり、ハワイに行っていた23歳の娘が妻子と死別した37歳の「黒人」男性と、出会ってから、たった十日で結婚を勝手に決め、両親の祝福を受けに帰郷し、しかも、その日の内に旅立つのだ。

親の困惑とプレッシャーは相当なものである。そこに持って来て、娘を子供時代から知る黒人のメイド、父の旧友である司教、更には長年、郵便配達夫をしてエリートに育てたと自負する医師の父親、そして母親までもが夕食に参集して来る。

誰もが個人的価値観を持ち、複雑な胸中になるが、それがある程度ステレオ・タイプなのは当然であろう。

それでも、主要キャストの全員が素晴らしい。何てことない仕草や、ふとした表情でスタンスが変わるのをこちらに直感させる。

ストーリィは、完全に「理想論」へと収拾していくが、ラストに演説を打つトレーシーの台詞には涙を禁じ得なかった。

ただ、作品としての甘さが浮かび上がる脚本上の「理想論的名スピーチ」としてではない。

それは、設定上の妻役であるヘップバーンを称賛する部分で、死ぬまで自分と愛人関係であった、彼女に対しての長年の感謝の念と心底からの愛情表現として受け取れたから。

事実、本作までの数年間、闘病で半引退状態であったトレーシーを本妻と交互に闘病生活を支えた彼女への「最後の共演」という形でのお礼と、衆前での「真意」を告げられた男としての『本懐』と感じたからだ。

それらを感じさせる脚本上の決めらた台詞を放つ表情に感極まったのだ。

トレーシーといえばエリザベス・テーラーと共演した「花嫁の父」(1950)でも、娘を嫁がせる父親役を名演したが、本作では彼自身の俳優としてのみでなく、人間として自身の終焉を予期している姿に重なるのである。

事実、彼は本作が遺作となった。そして、アメリカ映画史上最高の俳優がこの世から消え、ひとつの黄金時代の終焉を痛感させられる作品となったのだ。

余談雑談 2012年12月8日
予想に反して、寒い12月だ。それに、忘れかけていた大きな地震まで起きた。 そんな中、遂にTVのゴールデン・タイムから「映画劇場」放映が終了するかも、というニュースを知った。 一方で、TV放送自体が凋落したとも聞く。単に、どちらも「視聴率」の