俺は殺(や)られる! – THE SMALL WORLD OF SAMMY LEE (1963年)

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スタッフ
監督:ケン・ヒューズ
製作:フランク・ゴッドウィン
脚本:ケン・ヒューズ
撮影:ウルフガング・スシュツキー
音楽:ケニー・グラハム

キャスト
リーマン / アンソニー・ニューリィ
パツィ / ジュリア・フォスター
ジェリー / ロバート・ステーブンス
ルー / ウォーレン・ミッチェル
ミリー / ミリアム・カーリン
フレッド / ケネス・J・ウォーレン
ジョニー / クライヴ・コーリン・ボウラー
ジョアン / トニ・パルマー
支配人 / ハリー・ロック

日本公開: 1964年
製作国: イギリス ブライアンストン・セブンアーツ作品
配給: 昭映フィルム


あらすじとコメント

身勝手で自己中心的なイギリス男に振りかかる厄災。今回は生死に直結する戦場ではなく、ロンドンの下町が舞台。だが、そこでも生死に関わる問題は起きる。適当さに起因する自業自得を描くサスペンス映画の隠れたる作品。

イギリス、ロンドン。ソーホー地区。そこは場末の劇場や、世界各国の現地人が営む料理屋が並ぶ地域である。早朝、前夜の賑わいも消え、ゴミの散乱による残り香が漂う街に、トランクを持った田舎娘パッツィ(ジュリア・フォスター)がやって来た。

彼女はとあるストリップ劇場に、そこの司会兼漫談師のリーマン(アンソニー・ニューリー)を訪ねて来たのだ。だが、彼はとっくに店をでた後だった。

そんなリーマンは、賭けカードに興じていた。結局、負けて意気消沈しつつ、近くのカフェに向かう。時計を見てハッとするリーマン。ノミ屋から借りている借金の返済期限が近付いていたからだ。しかし、彼に返すアテなどない。それでも、競馬で一儲けしようとするような男である。

返済方法に憂慮しつつ、劇場に戻ると態良くストリッパーとして雇われそうになっていたパッツィを認めて・・・

人生を甘く見ている男が命の危険を感じつつ奔走するサスペンス・ドラマ。

ドラマは単純。自分ではスマートでイケテる男と自惚れている主人公が、溜まりに溜まった借金を期限内の夜までに、返済するべく金策に走る姿を描くだけだ。

口八丁手八丁で生きてきた男。しかも、職業はストリップ劇場のコメディアンだ。何とはなく、浅草出身の芸人で、どこぞの映画祭でグランプリを獲った監督に重なって見えたのは、うがった見方だろうか。

そんな主人公を慕って、都会へでて来た田舎娘、彼を心配する老年の付き人や、貸元の用心棒のコンビなど、魅力的なサブキャラが登場してくる。

流石に身の危険を感じ、市場で食料品店を営む兄の元へ行ったりするが、そう簡単に好転しない。

やがて、ウィスキーの密売やスイス製腕時計の転売等で、利ざやを稼ごうとしたり、一進一退の展開が待ち受ける。

何といっても、本作の見どころは、ロケ・シーンである。ゴミが散乱する市場、人々の息吹を感じるさり気ないシーン、そういったソーホーの場面がリアル感を増幅している。

当然、主人公は、段々と追いつめられていく展開だ。

金策に奔走しつつも、ストリップ・ショウの前後には、嫌でも舞台に戻り、客の前でジョークを言わなければならない。

そのギャップが、主人公同様、見る側も追いつめていく。

しかも、たった一日の出来事である。早朝から始まり、期限の深夜まで。始めはタクシー移動しつつ金策を考える主人公だが、やがて自らがソーホーを走り回る展開となり、万策尽きて行く。

ギリギリのところで好転するが、それが一瞬の夢という洒落のキツさも妙味がある。

ケン・ヒューズ監督は、本作後に「007 カジノ・ロワイヤル」(1967)や、「チキ・チキ・バンバン」(1968)と、どうしちゃったのよ、という路線へ行くが、本作での、クールな白黒画面とジャズの旋律に乗せ、人間の泡末さと脆弱さを際立たせる、どこか「ハスラー」(1961)を想起させる手法は捨てがいと感じた。

所詮、身からでた錆であるのだが、どこか中途半端な裏街道人生を送る主人公と、彼を心配する純情な田舎娘など、時代性は感じるものの、ソーホーという場所の雰囲気が匂い立ち、小粒ながら印象的な小品である。

余談雑談 2013年1月5日
年が明けた。 新年早々には、ふさわしくない作品だったが、順番なのでご容赦のほどを。 取り敢えず、年初の東京は晴天続き。寒いのは仕方ないとしても、好スタートであろうか。まあ、人生と同じで、好天がいつまでも続く訳もないが、それでも穏やかなことは