余談雑談 2013年1月12日

昨年末で閉ったもつ焼き屋。

読者の方から、最終日は行ったのかどうかとのお問い合わせを頂いた。映画の本文でなく、ここに関して連絡を頂くのは、少し照れくさいが、この場でご返答させていただきます。

結局、行きました。

2012年12月30日の日曜。東京は、その日だけ雨模様。

17時の口開けで入ると、続々と常連らしき方々がやって来る。女将さんが、皆に語りだした。「昨日、お客さんがね、明日は涙雨だよ、だって、その日しか東京は雨じゃないものって」まさしく、その通りの天気。

静かに飲んでいたが、胸が詰まって来る。こちらは、いつも小一時間で切り上げるのだが、名残り惜しそうな雰囲気が店を覆い、他の客の誰もが帰ろうとしない。

それでも、新たな客が来たので、会計を頼んだ。これで最後だ、そう思ったら、堪らなくなった。会計を済ませ、立ち上がろうとすると、女将さんが「あら、もう帰っちゃうの。長い間、有難う御座いましたね」と、挨拶してきた。

その笑顔が引き金だった。加齢の所為か、素直に野暮な対応を取ってしまった。

つまりは、泣いてしまったのだ。当然、店内の雰囲気は一変した。声にならない声で、すいません、どうぞ御達者で。すぐに外に出ると、叩きつけるような強い涙雨。

こちらは、いつもは平日にしか行かなく、日曜は初めてだった。誰もが常連らしかったが、一度も見たことがない方々ばかりでもあり、完全なるアウェイ状態。それゆえか、常連が怪訝そうに自分を見ていた。

他人には解るまい。自分の中で、完全に昭和が終った瞬間であった。大人になったら、決して鯱鉾張らないが、安いからこそ、凛とした落ち着きがある酒場で普通に客として扱われ、飲める立場になりたいと願い、それが叶った最後の砦。

兵士として行った戦場で父親を亡くし、後ろ盾がないゆえに、中学を終えると、東京に出て来て、飲み屋の遣い走りしか出来なかった御主人。

その御主人が、失業率だか、生活保護だかが放映されていたテレビを見ながら、自分しかいないときに、呟いた言葉が忘れられない。

「仕事がないなんてのは、ワタシに言わせりゃ嘘ですね。だって、仕事を選んでるもの」

代替わりもせず、一代限りの商売。開店当初は休みなく営業し、海外はおろか、新婚旅行にさえ行かなった老夫婦。自分が通うようになっても、年末年始に三日間だけ申し訳なさそうに連休し、他は定休の月曜だけ。

自分には到底出来ぬから、その「潔さ」に憧れるのだろう。

長い間ご苦労様でした、と素直に頭が下がる。あなた方のような人たちが、真の意味で、この国の戦後を支えてきたんです。

どうか、御達者で。

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