スタッフ
監督:チャールス・クライトン
製作:マイケル・バルコン
脚本:T・E・B・クラーク
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョルジュ・オーリック
キャスト
ウィルキンソン / アラステア・シム
ナイチンゲール / ジャック・ワーナー
ローナ / ヴァレリー・ホワイト
フォード / ジャック・ランバート
カービィ / ハリー・ウォウラー
カービィ氏 / フレデリック・パイパー
アレック / ダグラス・バー
クラリー / ジョン・ドーリング
ノーマン / イアン・ドーソン
日本公開: 1949年
製作国: イギリス アーサー・ランク作品
配給: BCFC NCC
あらすじとコメント
今回もロンドンを舞台にしたバルコン・タッチの典型作。少年たちの冒険譚を、いかにも血湧き肉踊る娯楽作に仕上げている。
イギリス、ロンドン。第二次大戦後の復興期のころ。15歳のカービィ(ハリー・ウォーラー)は、貧しい家庭の役に立とうと仕事を探していたが、中々、見つからないでいた。結局、いつも仲間たちが集まる廃ビルで遊ぶ日々である。
あるとき、年少の子供が必死になって読み耽っていた週刊少年雑誌に連載中の探偵小説をバカにしながら読んでみた。すると、あまりの面白さに興奮してしまう。
その直後、街で挿絵に書かれていたギャング団のトラックとまったく同じナンバー・プレートの同型トラックと、更に、これまた同型ロードスターを目撃。きっと、ギャングたちが小説を連絡方法にして、実際の犯罪に使っていると推理し、警察に通報した。
しかも、止せばよいのに、トラックが大きな木箱を運び込んだ毛皮商に、勝手に忍び込んだことから・・・
かつて少年たちが興奮して読んだ冒険探偵小説を素晴しい感性で描いた佳作。
昨今では、PCやら携帯と各種ゲーム機器が充実し、子供たちは読書はおろか、集団で遊ぶことも少なくなった。
半世紀以上前は、そんな現代の子供たちからすれば、信じ難いほど稚拙であり不便であった。しかし、娯楽が少なければ少年たちは自分たちで遊びを開発したり、雑誌等をまわし読みし、恐らく一生行けるはずのないアマゾンやアフリカ、更には人類が未到達の宇宙のことを想像した。
本作は、まさにその当時のハラハラ、ドキドキの少年小説を映像化した作品。
子供向けの探偵小説の挿絵が、実際のギャング団の暗号として使用されている。それを、自分らが小説の主人公である「探偵」になった気分で、真実を探りだそうとする。
確かにやり方は、大人じみてはいないし、誰が考えたって有り得ないと思う展開が連続していく。
しかし、元々は子供向けの「冒険小説」である。いかにも怪しい人間がでてきたり、逆に騒動を巻き起こして警察から目を付けられてしまうといった有りがちの進行を見せる。
ところが、個人的には自分の年少時代の思い出に見事に重なり、身を乗りだして興奮してしまった。
いかにも子供向け映画として「夏休みこども大会」の上映作品のようなティスト。
しかし、それを製作したのは、かのマイケル・バルコンである。ドキュメンタリーと劇映画の『融合』を常に試みた人間。それを、子供の「冒険譚」映画である本作でも遺憾なく発揮させた。
ドイツの爆撃で被災した廃墟が残るロンドンの街並み。子供たちが遊ぶのはロンドン・ブリッジが見渡せる廃墟。そして子供たちがギャング団を追い駆けたりするのは、実在のコヴェント・ガーデン市場やデパート、下水道である。
そのリアリティと真逆の設定と進行。しかもラストは子供たちが300人も登場して大乱闘を巻き起こす。
まるで、子供騙しのような内容を、堂々と大人が鑑賞しても充分に耐えうる作品に仕上げる。
出演陣の中では、小説の原作者を演じたアラスティア・シムのコメディ演技が素晴しいと感じた。
恐らくはイギリス映画出身のピーター・セラーズは彼の演技に、かなり影響を受けているとも感じた。それほど、絶妙なコメディ演技を見せてくれる。
「映画」が「映画」であった時代。テレビも当然なければ、ゲーム機やモバイル・ゲームもない時代。
そんな時代の片鱗と残り香を知る自分としては、懐かしさや忘れ去った少年の心への喪失感と、そのあまりの楽しさに思わず涙ぐんだ。