スタッフ
監督:ジョン・フランケンハイマー
製作:ロバート・エヴァンス
脚本:アーネスト・レーマン、ケネス・ロス、I・モファット
撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:ジョン・ウィリアムス
キャスト
カバコフ / ロバート・ショウ
ランダー / ブルース・ダーン
ダーリア / マルテ・ケラー
コーリー / フリッツ・ウィーヴァー
モシェウスキー / ステーヴン・カーツ
ファジル / ベキム・フェーミュ
ポー / ウィリアム・ダニエルズ
ムジー / マイケル・V・ガッツオ
小川船長 / クライド・草津
日本公開: 2011年
製作国: アメリカ R・エヴァンス・プロ作品
配給: パラマウント
あらすじとコメント
引き続きブルース・ダーン出演作。劇場テロ予告で公開寸前にお蔵入りになった幻の作品にしてみた。前回の「サイレント・ランニング」(1972)も、公開まで14年もかかった。妙に、当時不遇さを感じさせる役者だったが、本作は極上のアクション作。
中東レバノン、ベイルート。11月の深夜、パレスチナのテロ組織のアジトをカバコフ少佐(ロバート・ショウ)率いるイスラエルの特殊部隊が急襲した。奇襲は成功するが、テロリストの首謀者のひとりダーリア(マルテ・ケラー)ら、数名が逃げ伸びてしまう。
カバコフは、そこで押収したテープを持ってアメリカへ飛び、FBIとコンタクトを取った。そこには犯行声明が録音されており、どうやら、来年の年明け早々、アメリカ国内でテロを成功させ、アメリカがイスラエルと手を切らない限り、更に大きなテロ攻撃が起きるとの内容であった。しかし、それがいつどこで行われるのかは録音されておらず、ほぼお手上げ状態。しかし、放置すれば、テロが行われる公算は大である。
アメリカ政府はカバコフとの協力を了承するが、あまりにも雲を掴むような話でもあった。そんな中、ダーリアは密かにアメリカに入国し、ヴェトナム戦争の英雄で元海軍パイロットであったランダー(ブルース・ダーン)の家を訪れた・・・
骨太の渋いアクション大作にして佳作。
30年間も諜報機関で人を殺し続けてきたイスラエル人の男。祖国を奪われ、テロにより祖国奪還を願う女テロリスト。そして、ヴェトナム戦争で精神を病んだアメリカ人パイロット。
核になるのは、この三名。共通するのは『異常性』。
理由や信念の差こそあれ、全員が直接「殺人」を犯してきている。
映画は、大掛かりなテロを実行しようとする側と阻止する側が、交互に描かれ、どちらも、簡単にはことが運ばないという展開で進行していく。
だが、観る側は、最終目標がどこで、いつ行われるかは先に知ることになる。後は、それが具体的にどのような形で決行されるのか。
断片的に描かれるシークエンスから想像して行くのだが、都度、トラブルが待ち受け、ラストの迫力ある群衆シーンへと集約されていく。
このクライマックスは見ものである。
ダイナミックだが、クールさを感じさせるジョン・フランケンハイマー最後の力作と呼べる作劇に手に汗握る。
ただし、現在のようなスピーディさはない。しかしながら、そこにこそ、当時の鷹揚な映画としてのリズム感が常に横たわっているとも感じる。
「9・11」という、人類が永遠に忘れることのできないショッキングな事実の前では、所詮、「映画」であるとも感じるが、それでも、当時アメリカ国内で夥しい犠牲者をだすテロを実行しようとする内容には驚く。
何故、本作が公開数日前に、『お蔵入り』となったかであるが、日本の反イスラエルの過激派から、東京での上映予定の映画館宛に劇場爆破予告の脅迫状が届いたからである。
関係者試写や、一般試写会も行われて、前評判は非常に高かったが、公開数日前に急遽中止となったのだ。既に見ていた人間らは、何故、本作がターゲットになったのかと不思議がっていた。
確かにイスラエル情報部の活躍を描く作品だが、テロ側もしっかりと描かれているのにと。
また、脅迫状の宛名が間違っていたという説もある。本当は、本作上映館の真隣にある、別な映画館で上映予定だった、ウガンダのエンテべ空港で実際に起きた、旅客機をハイジャックしたテロ・グループを奇襲作戦で解放したイスラエル称賛映画の「特攻サンダーボルト作戦」(1976・未)へのものが、映画ファンでも何でもない、差出人が隣の館名を記載したというのだ。尤も、双方に届いていたという説もある。
真偽のほどは知らないが、当然、一方のチャールス・ブロンソン主演の方もお蔵入りとなった。当時、両作とも見ていた関係者は、あちらはしょうがないが、本作の未公開は残念だと言っていたのを鮮明に覚えている。
時は流れ、2011年に大都市のみで開催された『午前10時の映画祭』で、本作は上映されたが、それまではビデオやDVDでの鑑賞しか出来なかった。
本作をテレビ画面で見ると、やはり劇場のスクリーンで見たかったと思う人間は多いであろう見事なる力作である。