スタッフ
監督:ケン・ヒューズ
製作:アーヴィング・アレン
脚本:ケン・ヒューズ
撮影:ジェフリー・アンスワース
音楽:フランク・コーデル
キャスト
クロムウェル / リチャード・ハリス
チャールズ1世 / アレック・ギネス
マンチェスター卿 / ロバート・モーレイ
アンリエット王女 / ドロシー・チューチン
カーター / フランク・フィンレイ
ストラフォード卿 / パトリック・ワイマーク
ルパート王子 / ティモシー・ダルトン
ハイド卿 / ナイジェル・ストック
エセックス卿 / チャールス・グレイ
日本公開: 1971年
製作国: イギリス I・アレン・プロ
配給: コロンビア
あらすじとコメント
前回の「わが命つきるとも」(1967)で、主役と対峙する悪役として描かれた人物を大伯父に持つ青年が主人公の作品。日本人には、中々、理解しづらい背景ではあるが、宗教と絶対権力が対峙するスペクタクル巨編として仕上がっている。
イギリス、ケンブリッジ。1648年のこと、そこの領主クロムウェル(リチャード・ハリス)は、英国国王のチャールズ1世(アレック・ギネス)が絶対君主制を強化しようと、無理に彼の領地搾取を命じたことに立腹した。
世界は経済中心に回りだしており、貴族や地主を支えていた農耕経済よりも、商人や銀行家が拝金と権力主義により力を増していた。そんな拝金主義者たちは議員になり、権力を握ろうとしたが、国王はその行為に危機感を覚え、議会を解散させていた。
それには一定の理解は示すクロムウェルだったが、国王は英国国教会よりもローマ・カトリックを崇拝し、宗教改革まで画策していることには激怒していた。
このままでは英国は滅びると確信した彼は、国王が勝手に解散させていた議会の再会を要求しようとして・・・
イギリスに「共和制」を導入した偉人の激しい人生を描く歴史劇。
国王を尊敬しながらも、領民や人民も愛する理想的な男。そんな主人公が、やがてイギリスをある意味で統治するまでになる姿を正攻法で描いて行く。
歴史的背景としては、農業から産業へ、すなわち経済重視へと世界が変貌し始めていた時期である。貴族に対して新興勢力である資本家の台頭。議会では利権、拝金主義が跋扈していた。そのことを危惧し解散させた国王。
そのことは理解できるのだが、一方で、王女をフランスから迎え入れたことから、国王がカソリックを信仰していることはピューリタン(清教徒)として相容れないというジレンマがあった。
何故なら、清教徒はローマ派カソリックを『法王の偶像崇拝』と忌み嫌っていたから。しかも国王は、王女にそそのかされ、絶対君主制を更に強化させようと独裁に走っていることも、主人公には許せない。
結果、主人公は決起するのだが、当初味方に付いた貴族たちの旧態依然とした特権意識や保身により敗北。それでも彼には人民が命懸けで加担したことから形勢逆転し、国王軍を撃破して行く。
この激しい戦闘シーンは、単純で数による、まるで、チェスのような展開。ここでも旧態依然としている。貴族の司令官や国王も、「机上の空論」的頭脳戦としてしか捉えていないことが解る。だからこそ、主人公が勝利して行くのだ。
それでも国王は国民の拠り所であり、尊敬されるべき象徴として必要であると信じ、何とか、回心して欲しいと願う。
一方で、権力を持った議会は、またぞろ、特権意識と利権主義への回帰となっていく。そのことも気に入らない主人公。
平民からすれば当然であろう。権力を一度握った人間は、その権力に固執し、更に増長しようとする。いかに人間とは弱いかということを嫌というほど見せ付けて来る。
そんな中で、主人公は孤高の人間として、苦渋の決断を何度も迫られることになる。崇高なる理想家であるが、そのためには血を流すことも厭わない。その根底に流れるのは博愛であろうが、また、恐怖をも感じさせる。
主演のリヤード・ハリスは、堂々としながらも繊細さを感じさせる演技だが、どこか優等生的演技とも受け取れる。
どちらかというと地味目なキャストの中で、国王を演じたアレック・ギネスは、流石たる演技である。
日本人には解りづらいが、それでもイギリスという国の流れを知るには好材料の作品と言えようか。