スタッフ
監督:ケン・ラッセル
製作:ケン・ラッセル
脚本:ケン・ラッセル
撮影:デヴィッド・ワトキン
音楽:ピーター・マックスウェル・デーヴィース
キャスト
ポリー / ツイッギー
ブロックハート / クリストファー・ゲイブル
マンデヴィル / マックス・エイドリアン
パークヒル / ブライアン・プリングル
アルフォンズ / マーレー・メルヴィン
マダム・ヂュボネ / モイラ・フレーザー
フェイ / ジョージナ・ヘール
デ・スリル / ウラデク・シーバル
トミー / ヨミー・チューン
日本公開: 1972年
製作国: イギリス MGM,EMI作品
配給: MGM
あらすじとコメント
今回もイギリスを舞台にしたミュージカル映画。映画が、トーキーになる時期のハリウッドでの映画出演を夢見る場末ミュージカル劇団の人間模様を描く、どことなく不思議なティストの作品。
イギリス、ポーツマス。港町にあるロイヤル劇場。そこでは、まさに『ボーイ・フレンド』というミュージカルが上演されようとしていた。
座長のマンデヴィル(マックス・エイドリアン)は、いつか、ロンドンの有名劇場から、声がかからないかと心待ちにしていた。だが、今日も客の入りは惨憺たる有様で、開演間近になっても主演女優が来ない。何から何まで思い通りに行かない。仕方なく、マンデヴィルは、舞台助手で下働きばかりをさせられいたポリー(ツイッギー)を、急遽、代役に指名する。驚くポリーに、他の出演者たちからブ─イングが起きる始末。
それでも、何とか幕を上げた。すると、そこにハリウッドの大監督デ・スリル(ウラデク・シーバル)が見にやってきた・・・
ミュージカル映画の幕開け時代に、場末の劇場で描かれる人間模様。
映画がサイレントからトーキーになる時代。当然、一番輝いていたのはハリウッドの絢爛豪華な作品である。
舞台俳優としては、いつかは、自分も主演したいと夢見る。ところが、場所は場末の劇場。しかもイギリスという異国。
アメリカよりも歴史はあるものの、映画なりの娯楽に関しては、完全に後れを取っていた。それでも、シェイクスピアを生んだ国であり、自負もある。
しかし本作で描かれるのは、格調高い台詞による舞台劇でなく、どちらかというと、大衆娯楽であるミュージカル・レビューだ。
演じる方も、客も、肩肘張らずに見られる内容という設定。それでも、「表現者」としての自負は高い役者たち。当然、大スターもなどはいないし、大して才能があるような役者も少ない。客も入らず、楽団さえ雇えない弱小一座。
そこで主演女優が足の怪我で、急遽代役の白羽の矢が立つのが、若くて美しいが、演技経験など皆無の女性。
実に単純なシンデレラ・ストーリィが進行し始まる。まさに、映画創成期に、持て囃された内容でもある。
作劇としては、いかにも場末らしいが、それでも趣向を凝らせた、舞台らしいミュージカルが上演されていくのを、そのまま見せられる。
そこには場末感が匂い立ち、寂寥感さえ漂っていて、妙にリアルだ。その一方で、舞台裏の役者たちのドタバタを描いて行く内容。
ピンチ・ヒッターであるヒロインは、台詞は忘れるわ、踊りももたつくわと一応、ハラハラとさせながら進行していくが、有名監督の来場により、自分を売り込もうとする役者たちの人間関係が舞台上や裏で平行して描かれていくという寸法である。
そして、時折、幻想シーンとして草原でのダンス場面や、完全にハリウッド・ミュージカル史上燦然と輝く有名振付師バズビー・バークレーをコピーした幾何学模様的群舞が登場する。
つまり、現実は場末の小屋でありながら、売れない役者たちの壮大で勝手な夢を具象化していくのだ。当然、それらは黄金時代のハリウッド製ミュージカルへのオマージュであるのだが、現実の舞台の場面は妙にリアルであり、その対極さが、逆にファンタジックでもあるという不思議。
そこにイギリス人監督ケン・ラッセルの感性を嗅ぎ取れる。現在でいうスーパー・モデルであったツイッギーの初主演映画であるのだが、タップや踊りなど、かなり頑張っているとも感じるが、いかんせん、登場人物の誰にも『華』が無いのが残念。
しかし、だからこその『場末感』という妙なリアリティが全編を貫く、奇妙な感覚。
それでも、ハリウッド製のミュージカルを見慣れている人間には、胸に異物感を覚える作品でもある。