スタッフ
監督:ジャック・ドゥミ
製作:マグ・ボダール
脚本:ジャック・ドゥミ
撮影:ジャン・ラビエ
音楽:ミッシェル・ルグラン
キャスト
ジュヌヴィエーヴ / カトリーヌ・ドヌーヴ
ギイ / ニーノ・カステルヌォーヴォ
カサール / マルク・ミッシェル
エムリー夫人 / アンヌ・ヴェルノン
マドレーヌ / エレン・ファルナー
エリーズ / ミレイユ・ペレー
宝石商 / ハラルト・ウォルフ
ベルナルド / ピエール・カディン
ジャン / ジャン・ピエール・ドラ
日本公開: 1964年
製作国: フランス マドレーヌ・フィルム作品
配給: 東和
あらすじとコメント
今回もハリウッドではないミュージカル映画にしてみた。画期的であり、実験映画とも取れる、単純に「ミュージカル」と括れないフランス製の斬新な作品。
北フランス、港町シェルブール。1957年11月のこと。自動車修理工の若者ギイ(ニーノ・カステルヌォーヴォ)は、近所の洋傘店の娘ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)と恋人同士であった。
初恋の相手であり、人生すべてがバラ色だと感じるジュヌヴィエーヴは、彼とすぐにでも結婚すると、たったひとりの肉親である母親(アンリ・ヴェルノン)に打ち明ける。ところが、というか、当然というか、母親は、大反対。何故なら娘は、世間知らずの17歳であり、店も赤字で、色々と余裕がないからだ。それでも、夢見る乙女の彼女は、何が何でも結婚するわ、と。
ところが、ギイの元に二年間の兵役召集令が来てしまう。現在戦争中のアルジェリアへ派兵されれば、命も危ぶまれる。そう感じたギイは、結婚は焦らなくても良いと言いだした。
不安を感じるジュヌヴィエーヴの前に紳士的な宝石商カサール(マルク・ミッシェル)が現れて・・・
映画界に新風を吹きこんだ不思議な音楽映画の佳作。
以前までのミュージカル映画と言うと、フレッド・アステアやジーン・ケリーといった天才的個人芸を前面に押しだした作品や、贅を尽くした豪華絢爛なものからコンパクトにまとめたバック・ステージものが主流であり、1961年に世界中を席巻した『集団芸』によるスタイリッシュな「ウエスト・サイド物語」が発表され、転換期を迎えていた時期でもある。
そこへ持って来ての本作である。ストーリィは単純だ。世間知らずの若い恋人が辿る人生を静かに見つめるという青春ラブロマンス。
確かに、この手の内容のミュージカルは、ハリウッド製でも数多くあった。しかし、本作の特筆すべき点は、全台詞がミュージカル仕立てになっているということ。
普通に会話で愛を囁き合っていた恋人たちが、突如、街中で歌って踊りだすという類でなく、全部の台詞が旋律付きで話されるのだ。
しかも本作では踊りは一切登場しない。かといって「オペラ」とも違う。何故なら、歌劇は演者たちが、聴衆の注目を集めるべく、声楽的テクニックを誇示し、オーバー・アクト気味に歌唱する芸術であるから。そのどちらとも違う『音楽』映画である。
当時、新人のジャック・ドゥミ監督は、音楽のミッシェル・ルグランと徹底的に話し込み、あくまで自然な台詞を、あくまで自然に役者に演じさせるという、ある意味、曲芸とも無鉄砲とも取れる作劇法を用いた。
しかも内容は、三部構成とはいえ、ごくありきたりな普通のドラマである。
当然、出演者のオリジナルな歌声でなく、全員が吹替えであるのだが、何とも、見事なシンクロ感があり、良く言えば「浮遊感」があり、逆に言えば「不安定感」がある。
どちらにしろ、主人公たちの幸せな浮遊感であり、青春時代の不安定感双方をこちらに感じさせてくれる。
また、各シーンで変わる母娘の衣装のセンスも抜群であり、衣装と背景と双方が際立つ色彩感覚など、決してアメリカ映画では描けないとも感じる。
それは、フランスという歴史ある文化や街並が、個人に与える感性であり、その中で、見事にマッチする画面の切り取り方が、何ともロマンティックさを際立たせているとも感じた。
しかも単なるロマンティシズムでなく、感傷的切なさも漂わせる手際に見入った。
これぞアメリカ映画とは一線画するプライドであろうし、ある種のスノビズムでもある。
単なる実験映画でなく、あくまで劇映画として立派に成り立っている佳作。