スタッフ
監督:フィリップ・ガレル
脚本:フィリップ・ガレル、マルク・ショロデンコ
グザヴィエ・ボヴォア、アルレット・ラングマン
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
音楽:ジョン・ケイル
キャスト
エレーヌ / カトリーヌ・ドヌーヴ
セルジュ / ダニエル・デゥヴァル
ポール / グザヴィエ・ボヴォア
エレーヌの夫 / ジャック・ラサル
彫刻家ジャン / ダニエル・ポムルール
医者 / マルク・フォル
ドイツの娼婦 / アニータ・ブロンド
階段の少女 / マリー・ヴィアル
薬局の店員 / ロランス・ジラール
日本公開: 2002年
製作国: フランス A・サルディ&ホワイ・ノット・プロ作品
配給: ビターズ・エンド
あらすじとコメント
フランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌーヴ。年齢を重ねても、存在感は抜群で、ハリウッド女優とは完全に一線を画すと感じる。そんな彼女が、老いへの不安を痛感する中年女の微妙な焦燥感を描いた小品を選んでみた。
フランス、パリ。昼下がり、とあるアパートにエレーヌ(カトリーヌ・ドヌ─ブ)がやって来た。彫刻家の助手をする若きポール(グザヴィエ・ボヴォワ)との逢瀬の為だ。彼女は人妻でありながら、老いて行く自分に不安を感じつつ、どこか遊びではなく、一途な気持ちになっていっていた。
一方のポールは、そんな彼女の行動に躊躇し、不安さえ感じていた。別れ際、彼は、明後日から仕事の関係でイタリアのナポリに行くと告げる。同行を願うエレーヌを拒否し、旅立った。
そんなポールは、ナポリで影のある中年男のセルジェ(サニエル・デュヴァル)と知り合った。仕事やエレーヌとの関係を模索する彼は、すぐに帰国したくない気分でもあった。
そこで、パリまで自分の車で帰るというセルジュに同乗を申しでて・・・
人妻と男二人の奇妙な関係と人生の絶望を描く大人のラブ・ストーリー。
美しいが、どこか寂し気な中年の人妻。逢瀬の部屋に向かう階段ですれ違う若い女性に、少し嫉妬の眼差しを投げ、部屋に入ると、まだ来ぬ若い恋人とのこれからの情事にときめきと不安を滲ませ、ベッド・シーツのしわを伸ばし、自分の香水を少し振りかける。
微妙な中年女の寂しさが際立つ冒頭。台詞も音楽もなく、まわり階段部全体に響く靴音や、シーツを伸ばす衣擦れ音。
これぞ、フランス映画の香りだと印象付ける口開け。漂う透明感。
だが、決して寄り添うでもなく、また、突き放すような冷たさもない画面。
性的描写など、決して劇的に盛り上げることもなく、それでいて、透明人間として、常に彼女と寄り添う、こちらがいるという不思議な感覚。
だが、情事が終り、一緒に旅したいと願う女を突き放すように、イタリアへ向かう若い男。
映画は、ここからいきなり変調する。彼女との関係や、自分の人生について模索している若者と影のある中年男との、イタリアからパリへと、真っ赤なポルシェでのロード・ムーヴィーへと変貌するのだ。
これには驚いた。何の脈絡もなく、見ず知らずの男同志の旅物語になり、旅先で誰かと知り合ったりするわけでもなく、ぎこちない男二人の、どこか哲学的な会話が中盤まで続く。
その間、一切、ドヌーヴはでてこない。なので、彼女目当てで見に来た観客は、恐らく大半がリタイアするだろうか。
パリに戻ってから人妻と再会するが、亭主を紹介すると言いだしたりして、孤独さと情緒不安定さを際立たせて来るという、こちらの心をも掻き乱す進行。
確かに、男同士の道中では、ドヌーヴを画面に一切登場させないので、離れている間に人妻の寂寥感が募っていたのであろうと感じさせる演出の意図であろう。
だが、それにより、男としては彼女に感情移入が出来なくなってしまった。逆を言えば、それこそが、若者が、世間や人生に暗中模索状態だと知らしめる演出術なのだが。
しかし、更に映画は、中年男の人生へとシフト・チェンジしていく。
これにも驚いた。この中年男と同年齢、もしくは、それなりにひねくれた人生を送った人間でないと理解出来ないような、どこか哲学的な暗喩が横たわる。
パリの寒々しさを感じさせたり、一転し、ナポリや南イタリアの温暖さ、雨のドイツといったその場の空気が立ち上る息吹感は見事に伝わるが、それぞれの人生の断片的な印象から、全員の心の襞を汲み取れという、監督の示唆は、よほどのフランス映画好きでないと置いてけ堀を喰らうだろう。
その証拠に、ラストへ向かうシークエンスの唐突さと、どこか突き放すようなラストに戸惑う。それでも、だからこその作家性でもあると感じた。
生理的には、日本人には受け入れがたいとも感じるが、それも『フランス気質的』映画表現の醍醐味でもあろうか。