ひきしお – MELAMPO (1971年)

メルマガ会員限定

画像を表示するにはメルマガでお知らせしたパスワードを入力してください。

スタッフ
監督:マルコ・フェレーリ
製作:レイモノド・ダノン、アルフレッド・レヴィ
脚本:エンニオ・フライアーノ、マルコ・フェレーリ
ジャン・クロード・カリエール
撮影:マリオ・ヴルピアーニ
音楽:フィリップ・サルド

キャスト
リザ / カトリーヌ・ドヌーヴ
ジョルジョ / マルチェロ・マストロヤンニ
ジョルジョの妻 / コルニー・マルシャン
ジョルジョの友人 / ミシェル・ピッコリ
ジョルジョの息子 / パスカル・ラペルーサ
ジョルジョの娘 / ヴァレリー・ストロー
メイド / ドミニク・マルカス
リサの友人 / クローディーヌ・バーグ

日本公開: 1972年
製作国: イタリア、フランス ダノン&レヴィ作品
配給: ヘラルド


あらすじとコメント

まだまだカトリーヌ・ドヌーヴ。相手役は、当時、結婚していたマルチェロ・マストロヤンニ。実に不思議なティストの、ある種の不条理劇。

地中海、とある小島。そこでたったひとり、世捨て人よろしく愛犬と住む小説家ジョルジョ(マルチェロ・マストロヤンニ)。ある日、島に豪華ヨットが停泊するが、船の持ち主と喧嘩してリザ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が、船を降りた。どうやらヨットの持ち主も頑固で、彼女を置いて走り去ってしまう。

靴も履かないで逃げだした彼女は、途方に暮れた。そこに、ジョルジョがやって来た。水を頂戴と上から目線で言う彼女に、そこの岩場に湧いている、とそっけなく答えるジョルジュ。要は舐めろと言うのだ。そんな彼に、妙に興味を惹かれるリザ。

無人島ゆえ、ホテルなど有るはずもなく、彼が住むドーム型の防空壕に泊めてもらい、翌朝ボートで送ってもらうことにする。当然の如く結ばれる二人。

翌日、大きな島に送ってもらい、彼と別れるが、直後、自分を見捨てて逃げたヨットの仲間に遭った。船に戻ってクルーズを続けようと言う女友だちに、妙な違和感を覚えたリザは・・・

男女というか、人間における関係性をある立場から描く不可思議なドラマ。

世捨て人として、一匹の犬とだけ無人島に暮らす男。完全に「ロビンソン・クルーソー」の設定である。そこに登場するのが、一人の女性。美人だがワガママ。だが、結局、人間同士だから、簡単に肉欲に溺れる。

それなら誰もが想像が付く展開だ。しかも、主役二人は実生活でもパートナー。私生活を覗き見するかのような、邪な感情を持つ観客も多いだろう。

しかし、本作は、奇妙な世界観へとシフトしていく。

それは主人公がパートナーとして接していた愛犬が死ぬことにより、いびつな「依存性」と「関係性」が喚起されて来るのだ。

ヒロインが、犬が死んだのは自分の所為だと言いだし、今後は自分を愛犬だと思って接してくれと懇願する展開。

それまで、自分の「個性」という鎧に身を固め、そんな自分を受け入れる相手のみに主眼を置いて来たであろう人生。

そうとはいえ、その実、どんな相手に対しても、自分の存在に気を止めて欲しいと願う欲望に気付く。例え、自分のことを嫌いな相手でも、それはそれとして受け入れようとはする。だからこそ、自分を認知してくれていると。

恋愛指南書などで、よく言われてきたことではあるが、恋愛感情に於いて、「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」であると。

それは、嫌いといえども、自分の存在に対しての評価であり、存在そのものの否定ではない。

本作のヒロインは、他に誰も頼る相手のいない無人島で、会ったその晩に肉欲を交わした相手から、自分よりも愛犬にばかり話しかける主人公への嫉妬を覚える。

なまじ自分に自信があるゆえに、プライドの傷付き方は半端ではなかったのだろう。

棒を投げられれば、何度でも拾いに行き、飼い主の元へ運ぶ。それは『構ってもらいたい』という願望の体現化である。

しかし、人間としての尊厳に対してもジレンマが発生する。「主従関係」と「生物としての性」。

それにより不思議で、いびつな関係性が継続し、増長されて行く。

舞台は途中からパリに移るが、そこで見えて来るのが、何故、主人公の男が、無人島で世捨て人のような生活に至りたくなったかという理由付け。

当初、ヒロインに単独で島で留守番せよと命じるが、忠犬よろしく、不意に長旅を得て、飼い主の居場所を嗅ぎつけて来る。

そのシークエンスで、鳥肌が立つか、人間として嫌悪感を催すか。何せ、そこでのヒロインは、完全に愛犬の行動を取るのだから。

リアリティを伴いながら、ファンタジーとして描こうとした作風。そこに何を感じるかは、観る側次第であろうか。

それとも、受け入れられずに、途中で棄権するのか。

どの道、日本人には理解しがたい部分が過分にある作品である。

だが、素敵だ。それは、主人公の二人が、実生活でもパートナーであるという絶妙な「間」と「存在感」によるものだとも感じたが。

余談雑談 2013年5月18日
現在、三社祭が地元で開催中である。毎年、担ぎ手と見物客でごった返す。 なので、関わりたくない自分は、どこかへ避難しないといけない。この地で生まれ育ったのに、何を言っているんだという知り合いも多い。若かりし頃は兎に角、一切、町会のお手伝いもせ