スタッフ
監督:リチャード・クワイン
製作:ジュリアン・ブラウスタイン
脚本:ダニエル・タラダッシュ
撮影:ジェームス・ウォン・ホゥ
音楽:ジョージ・ダニング
キャスト
ヘンダーソン / ジェームス・スチュワート
ギリアン / キム・ノヴァク
ホルロイド / ジャック・レモン
レッドリッチ / アーニー・コヴァックス
クィーニー / エルザ・ランチェスター
デ・ポー婦人 / ハーミオン・ギンゴールド
マリー / ジャニス・ルール
秘書 / ベック・ネルソン
フランス人歌手 / フィリップ・クレイ
日本公開: 1959年
製作国: アメリカ フェニックス・プロ作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
「晴れた日に永遠が見える」(1970)同様、今回もニューヨークを舞台にしたファンタジー・ラブ・ロマンスにした。舞台劇の映画化という点も同じだが、違うのはミュージカルではないこと。それにヒロインも「超能力者」ではなく、「魔女」。それでも、中々、洒落た作品。
アメリカ、ニューヨーク。とあるアパートの一階にある「ギリアン・ホルロイド原始美術店」。営むのは若き美人のギリアン(キム・ノヴァク)で、常に、シャム猫の愛猫パイワケットと一緒だ。そんな彼女はアパートの二階に引っ越して来た出版社を経営するヘンダーソン(ジェームス・スチュワート)に一目惚れしていた。
そんなこととはつゆ知らず、彼が帰宅すると、室内に、見知らぬ中年女性が。ギリアンの叔母クィーニー(エルザ・ランチェスター)で、鍵が開いていたので、引っ越しの挨拶に来たと。解錠して入ってきたのに、と驚くヘンダーソン。しかも彼は、翌日、恋人と結婚しようと決めていたので、相手に連絡を入れたくてしょうがなく、態良く彼女を追いだそうとした。クィーニーは、電話機に向かって、何やら口を、もぞもぞさせ、階下に行きギリアンに、愛想のない男よと告げ口。
直後、ヘンダーソンが、何故か突然、電話が故障したので、貸してもらえないかと店に入って来た・・・
魔女が、お人好しの真人間に惚れて起きる騒動を描くハート・ウォーミング・コメディ。
人種の寄合い所帯アメリカを代表する大都会ニュー・ヨーク。世界各国の人間がいるので、個性的な存在も多いだろう。
しかし、本作のメインは、何と魔女である。しかも、ひとりでなく、ファミリーを形成し、コミュニティーまで存在し、見かけはまったく普通の人間。
当然、人間とは違うところもある。それは決して、恋をしないし、感情の起伏によって高揚しても顔が赤くならない。それに水に投げ入れられると浮くという。
そんな魔女のヒロインが、普通の男に惚れてしまう。しかも、彼の気を引くためにシャム猫を使って、魔法をかけ自分に傾くように仕向ける。恋敵がいれば、それをも魔法で蹴散らす。
何とも、乙女チックであり、逆にいえば、怖い存在だ。
しかし、魔女は人間に惚れると、その魔力を失うのだ。そこまでして惚れる相手なのかと、周囲のファミリーたちは揶揄したり、心配したり。
一方の主人公は、まさか現生に魔女などいるはずもないと多寡を括っている。
そこにもう一人、「魔女の真実」的な悪趣味本のベストセラー作家が絡んで来る。商売になれば、真偽は関係ないとトボケる主人公は出版社社長。一方、ヒロインたちは、本は嘘ばかりで真実は違うと思っている。
何やら、一筋縄ではいかない展開は想像に難くない。
原題である「鐘、本、ろうそく」とは、「鐘を鳴らし、本を閉じ、ろうそくを消せ」という中世の魔女を遠ざける呪文。
確かに、ヒロインの飼うシャム猫は、「鐘」を付けてるし、猫アレルギーである主人公は「本」をだす出版社社長。では、「ろうそく」は。
野暮は言うまい。キム・ノヴァクの妖艶さと、いかにもお人好しアメリカンの典型であるスチュワート、それぞれが見事。しかも、この主演コンビは本作直前、ヒッチコックの秀作「めまい」(1958)で共演したばかり。
「めまい」と続けて見ると、いかに二人が達者な役者かと認知できよう。
また、ヒロインの弟役で、敵役っぽいジャック・レモンも負けてないし、天真爛漫な叔母役のエルザ・ランチェスターだって微笑ましい。それに忘れてはいけないのが、小説家役で、脂っこいアーニー・コヴァックスの存在。
元々のブロードウェイ版は、何故かイギリス系のレックス・ハリソンとリリー・パルマーだったとか。それも見てみたいと思った。
時代性もあるので、佳作とまではいえないが、当時のソフィスティケイトされた、お洒落なお伽話として、上手くまとまっている作品。