スタッフ
監督:ジョン・ヒューストン
製作:ディノ・ディ・ラウレンティス
脚本:クリストファー・フライ、V・ボニッチェリ、他
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:黛敏郎
キャスト
アダム / マイケル・パークス
イヴ / ウラ・ベルグリット
カイン / リチャード・ハリス
アベル / フランコ・ネロ
三賢者 / ピーター・オトゥール
アブラハム / ジョージ・C・スコット
サラ / エヴァ・ガードナー
ニムロデ / ステーヴン・ボイド
ノア / ジョン・ヒューストン
日本公開: 1966年
製作国: アメリカ D・D・ラウレンティス・プロ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
今回も名優ジョージ・C・スコット出演作にしてみた。前回扱ったパットン将軍のように、イタリアのムソリーニを演じたり、実在の人物を演じることも多い。今回は、歴史上の人物とは違うが、それでも、彼らしい妙なリアリティ溢れる人物像を演じた作品。
地球。神は先ず、六日間に渡り天と地を造り給えた。そして灰より人間男性としてアダム(マイケル・パークス)を誕生させ、人間女性イヴ(ウラ・ベルグリット)を造った。二人はエデンと呼ばれる楽園で楽しく美しく暮らしていたが、蛇に誘惑され、禁断の木の実を食べたイヴは、アダムにも食させたことから、神の怒りを買い、悲観の内に身籠り楽園を追いだされてしまう。
やがてイブは二人の息子を産んだ。成長した長男カイン(リチャード・ハリス)は農民になり、二男アベル(フランコ・ネロ)は羊飼いとなった。二人はそれぞれ神に供物を提供したが、カインの方には心がこもっていないとはねつけた。怒ったカインはアベルを殺害する。そうして、人類初の「殺人」が起きたのだった。
当然、神はカインを罪深き彷徨い人として追放され、やがて、その子孫たちが生まれ続けていき・・・
『聖書』を壮大なスケールで映像化したキリスト教を教える一大巨編。
創世記から、やがて人類がどのように繁栄と衰退を繰り返していったかが、3時間に渡り描かれて行く。
とはいっても、聖書は読んだこともないし、キリスト教信者でもない無粋な人間としては、何とも奇妙な感慨に陥ってしまった。
『神』が、万物を創造し、自らが生みだした人間を試し、自分への忠誠度によって滅ぼしたり、繁栄させたりするというお話である。
キリスト教信者でない自分としては、何とも、理解しがたい部分も数多くあった。ただし、監督はジョン・ヒューストンだ。ヘミングウェイとも親交のあった『失われた世代』の人物であり、数多くの佳作、傑作を作って来た筋金入りの「タフガイ」。
そんな彼が、単なる聖書の映像化では、布教映画になってしまうと考えたのか、はたまた、イタリア人プロデューサーのディーノ・ディ・ラウレンティスの意向か解らぬが、世界中の人間が見てもおおよそ理解しうるであろう観点から描いて行く。
とはいっても、これぐらいは常識として知っているであろうという見地からの作劇でもあるので、初見のときは自分の不勉強さを棚に上げて、飽きてしまった想い出がある。
今回、暫く振りに再見して感じたことは、人間の悪者を演じるのが何故かイギリス系俳優ばかりであり、善人側はイタリア系俳優という疑問。
イギリスの血筋のヒューストン監督の自虐的企みであるのかと勘繰ってしまった。それでいて、本作での一番の見どころである、ノアの箱舟のシークエンスでは、自らが嬉々としてノアを演じているのだ。
その上、イギリス系は悪役ばかりだと思っていたら、神の使いとして登場するのがイギリス人のピーター・オトゥールなのが、まるで「アラビアのロレンス」かと失笑してしまった。
それでいて、終盤の主役がジョージ・C・スコットである。
しかし彼の役柄こそ、キリスト教に限らず、ユダヤ教では全ユダヤ人の祖であり、イスラム教ではアラブ系の祖でもある人物なのだ。
成程、現在でも紛争が絶えない民族間の問題が多少理解できたし、奢り昂った人間たちが住む「ソドム」を一瞬にして瓦解させる場面では、完全に『核』をイメージさせる。
確かに予言を感じさせるし、宗教としては、何が大事なことかをも教えてくれる作品。
しかし、個人的に一番興味を持ったのが、音楽が日本人の黛敏郎であること。ハリウッド映画では、音楽家としては日本人の祖ということなのだろうか。