今日は地元で「サンバ・カーニバル」がある。兎に角、40年前は『忘れ去られた観光地』というイメージを払拭するべく、様々なイベントが考えだされ、それは現在でも増え続けている。その一環であったのだろう。
このサンバ・カーニバルは今年で32年目。第一回の時の名誉委員長は、コメディアンの伴淳三郎であった。偶然、その開会式に居合わせた。何故、伴淳三郎だったのか。下町なり、ブラジルに関係があったのか。
当初は、参加チームが数少なく、地元の青年部が、ほぼ強制的に参加されられた。それが今や、人気過ぎて抽選とも聞く。
ふと、伴淳三郎から、昔の芸人のことを連想した。タバコ屋の実家がある場所は、渥美清や関敬六など芸人が多く住んでいた町会。自分は、祖父や父から聞いただけで、映画やテレビで見る遠い人であったが。
しかし、町内に、晩年まで住んでいた芸人がいる。今や、どれほどの方が知っているかは謎であるが、益田喜頓である。常に背筋が伸び、これぞ『伊達男』という印象。その存在は、50メートル先からでも解ったほどだ。
まさしくオーラがあり、いつ見てもダンディで、お洒落。今では、藤村俊二か堺正章が、何とか、着こなし等を真似ているが、個人的には彼の足元にも及ばないと感じている。
偶然、タバコ屋の店番をしていたとき、彼が来て、「マールボロをひとつね」と言われた時は総毛立った。祖父母は、ウチの常連よと笑っていたが。
彼以降、何人もの俳優なり、芸人を見かけたが、あれほどオーラを放つ人間は見たことがない。自分など、死ぬまで足元にも及ぶまい。
彼はサンバ・カーニバルをどう感じていたのであろうか。
少なくとも、へそ曲がりな自分としては三社祭の時のように、どこかへ逃げ出すしかない。