スタッフ
監督:パトリス・ルコント
製作:フィリップ・カルカッソンヌ
脚本:クロード・クロッツ
撮影:ジャン・マリー・ドルージュ
音楽:パスカル・エスティーヴ
キャスト
マネスキエ / ジャン・ロシュフォール
ミラン / ジョニー・アリディ
ルイジ / ジャン・フランソワ・ステヴナン
マックス / シャルリー・ネルソン
サドゥコ / パスカル・パルマンティエ
ヴィヴィアンヌ / イザベル・プチ・ジャック
マネスキエの姉 / エディット・スコブ
理髪師 / モーリス・シュヴィ
生徒 / オリヴィエ・フォロン
日本公開: 2004年
製作国: 仏・独・英・スイス シネB他作品
配給: ワイズポリシー、アーティストフィルム
あらすじとコメント
前回が「汽車を見送る男」(1952)。『見送る』と『乗る』では、人生のスタンスそのものが違うが、何となく、共通性を感じる作品を選んだ。こちらも犯罪絡みの作品で、二人の男が織りなす独特な雰囲気を醸すフランス映画。
フランス、東南部の小さな町ソルティ。11月のとある水曜の黄昏時。小さな駅に着いた列車からミラン(ジョニー・アリディ)が降り立った。黒い革ジャンを着て、どこか陰のある男だ。
寂れて、一切、活気がない小さな田舎町。彼は車中から頭痛がしてたので、薬局に入り、頭痛薬を買い求めた。そこに、偶然、居合わせた地元に住む元国語教師のマネスキエ(ジャン・ロシュフォール)は、異邦人の彼に興味を持った。店をでたミランは、早速紙袋から薬を取りだすと舌打ちをした。何と、発泡剤で、水なしに服用できないタイプだった。それに気付いたマネスキエは、自宅に誘った。素直に同行するミラン。
町外れにあるマネスキエの家は、荒れ果て、敷地に入るゲートから、建物の玄関まで施錠していないような家であった。独り暮らしの彼は、話し相手が欲しかったのか、延々と喋り続け、何なら泊まって行けと。首を横に振り、水を貰うと家を辞すミラン。
再び町に戻るとホテルを探した。しかし、シーズン・オフで休業中。舌打ちをするとマネスキエの家に戻った。
悪いが、土曜まで三日ほど泊めてくれないか・・・
正反対な二人の男の不思議な関わり合いをコミカルさとファンタジー性を絡めて描く佳作。
田舎町で生まれ、そこで教師となり定年を迎えた初老の男。生涯独身であり、15年前に母を亡くし、荒れ果てた屋敷にたった独りで住む。方や、裏街道を歩んできたという風情を漂わす旅人。
孤独でさびしく、始終話し続ける元教師と、寡黙な旅人。共通するのは、土曜日に別々であるが重要な案件があること。
それまでの三日間を追う内容である。
お互いが、自分の持っていない人生や生活に憧れを持ち、それぞれが抱える孤独を嗅ぎ取り、静かに優しく受け入れて行く。
旅人はスリッパを履いたことがないと言う。安定した生活などしたことがない人生。そんな彼は拳銃を3丁も所持している。それを発見した元教師が取る行動も、小さな町から一切でたことがない閉塞感を際立たせる。
小さな会話から、お互いへの憧れを素直に表し、三日という時間で心を開き、自分が歩んでこられなかった人生を送って来た相手に質問するようになる。
『憧れ』と『諦念』という、思い通りにならない人生を送りながら、夢を見続けて来たが、何も叶わなかった男たち。どちらも心底、理解しあえる友人なり、家族に恵まれなかった哀愁。
やがて、価値観さえがシンクロして行くことによって、二人の距離が縮まるが、それによって、まったく違う人間であるということが浮かび上がる残酷。
二人とも、どこか人生から降りてしまっている諦念感もあり、それでいて静かに、だが、必死にもがいているという焦燥感も漂う。
対照的な二人を演じるロシュフォールとアリディが見事である。また、不思議なフェード・アウトによる人間の『昇天』をイメージさせるショットを挿入したり、二人の人生のカギを握る別々な人間が車ですれ違う場面など、パトリス・ルコントの確信に満ちた演出も上手く機能していると感じた。
本作で、特に印象的なのが「車」の描き方。タイトルにもあるように「列車」との違いを際立たせ、主人公である二人の人生は列車による旅なのであると意識付ける。
要はレールが敷かれ、他人の運転による移動ということ。自らが勝手にハンドルを切り、脇道にそれたりせず、目的地まで運ばれる。更に続ければ、二本のレールは、やがて一本に同化するように見えるが、もしもそうなったら脱線するのだ。
どこかジャン・ギャバンとジャン・ポール・ベルモンドが共演した秀作「冬の猿」(1962)にも似た、年の違う男同志の寂しい人情話のようなテイストも漂うが、こちらの方が残酷である。
寂しい男たちの挽歌が、こちらの胸に沁み入る吟醸酒のような、いかにものフランス映画の佳作であり、大好きだ。