スタッフ
監督:ジョルジ・パン・コスマトス
製作:カルロ・ポンティ、ルー・グレイド
脚本:ロバート・カッツ、トム・マンキウィッツ、G・P・コスマトス
撮影:エンニオ・グァルニエーリ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
キャスト
ジェニファー / ソフィア・ローレン
チェンバレン博士 / リチャード・ハリス
マッケンジー大佐 / バート・ランカスター
ニコール / エヴァ・ガードナー
エレナ博士 / イングリット・チューリン
ヘイリー / O・J・シンプソン
ナヴァロ / マーティン・シーン
マックス / ライオネル・スタンダー
カプラン / リー・ストラスバーグ
日本公開: 1976年
製作国: イタリア、イギリス I・C プロ作品
配給: ヘラルド
あらすじとコメント
列車で繰り広げられるアクション。今回は、当時、流行っていたパニック映画の一本としてオールスター・キャストで制作された大作を選んだ。体制側が非情であるとあからさまに描く社会派であるが、それでも娯楽作。
スイス、ジュネーヴ国際保健機構本部に三人のテロリストが爆破目的で潜入した。しかし、爆破前に警備員と銃撃戦になり、細菌培養室に立ち入ってしまった三人は、肺炎菌を浴びてしまう。それでも一人だけ逃げ伸び、かねてからの予定通り、ジュネーヴからパリを経由してスエーデンのストックホルムに向かう国際列車に逃げ込んだ。
乗客には脳神経学の権威チャンバレン博士(リチャード・ハリス)、彼と二度の結婚離婚を繰り返し、また彼を追って来た小説家ジェニファー(ソフィア・ローレン)、西ドイツ最大の武器企業の社長夫人ニコル(エヴァ・ガードナー)、彼女の若い愛人ナヴァロ(マーティン・シーン)らが、何も知らずに乗っていた。
一方、テロリストの行方を追うアメリカ陸軍情報部のマッケンジー大佐(バート・ランカスター)が、国際列車に気が付いて・・・
伝染性細菌保持者が同乗する列車に乗った1000人の行く末を描くパニック作。
襲撃に失敗し、細菌を浴び、列車に逃げ込むテロリスト。その男が、次々に老若男女の乗客らに咳込みながらうつしていく姿を見せ付ける。
一方で、列車に乗り込んだ保菌者を発見し、上層部に指示を仰ぐアメリカの軍人。そして、その軍人らと司令部に呼ばれて、何とか解明と回避を模索する女性博士。
当然、乗客は何も知らない。博士と小説家の主人公二人の他に、怪しげな行動を取る牧師、強制収容所から生き延びたユダヤ老人、青春を謳歌している若者たちといった乗客たちのキャラクターが描かれつつ、軍の上層部が簡単に下す人命無視の非情な命令。
登場人物では、一応、情報部の大佐が悪役として描かれるが、彼も単なる宮仕えだ。つまり、登場人物では単純なる悪役は存在しない。誰もが、どこか善意の感情を持つ人物として描かれる。
しかも、事件発覚以後、画面に登場するのは列車と狭い対策本部にいる大佐とその部下と女性博士のみ。
確かに余計な人物を挿入したりせずに、ストーリィに集中させる手法としては頷ける。そのあたりの描き方が、ハリウッド製とは違うティストを醸しだしている。
しかも列車内と小さな作戦本部のみだから、閉塞感も際立つ。
中盤から防護服に身を固めた部隊が登場して来て、列車に乗り込んでくるあたりから、いよいよアクションへ疾走し始める進行も定石通りとはいえ、手堅さを感じる。
しかし、編集が上手く機能していない。疾走する列車を上から見たり下から見上げたり、横の移動と様々なカット割りで見せるのだが、進行の方向性や速度の一致性がないという、どうにもブツ切り感が先行する。
しかも、列車内は如何にもセットと分かり、走行している揺れ感もない。つまり、画面が変わるごとにリズム感が変わるので、微妙な不安定さを感じた。
更に、それが登場人物たち、それぞれの機微を際立たせるということもなく、どこか俳優個人の思い入れ演技に終始させ、それをコントロール出来なかった監督の力量不足が露呈し続けているのも残念。
要は全体を通してハーモニー感がないのだ。ストーリィとしては手堅くまとまっているし、単純なハッピーエンドでもないところにハリウッドとは違う余韻を残すのが、救いとも感じる。
ただ、全体を通すと大雑把な大作という印象は拭えない。