スタッフ
監督:トニー・リチャードソン
製作:トニー・リチャードソン
脚本:アラン・シリトー
撮影:ウオルター・ラサリー
音楽:ジョン・アディソン
キャスト
スミス / トム・コートネイ
スミスの母親 / アヴィス・バネージ
感化院院長 / マイケル・レッドグレイヴ
ブラウン / アレック・マッコーウェン
マイク / ジェームス・ボーラン
ローチ / ジョー・ロビンソン
オードリー / トプシー・ジェーン
グラディス / ジュリア・フォスター
クレイグ / レイ・オースティン
日本公開: 1964年
製作国: イギリス ウッドフォール・フィルム作品
配給: 昭映
あらすじとコメント
前回が全寮制の寄宿学校で起きる「怒れる若者たち」を描いた作品だった。今回も同じく、怒れる若者を描いた作品にしてみた。少年院に送られた若者の反骨精神を抒情的に、且つ、見事に描いた佳作。
イギリス、ロンドン下町に住む下層階級の少年スミス(トム・コートネイ)は、友人とパン屋に忍び込み、現金を奪った所為で感化院に送致された。
そこの院長(マイケル・レッドグレイヴ)は、反抗的な態度を取るスミスに、長距離走の才能があることに眼を付けた。単にスミスの負けず嫌いの性格の所為かもしれぬが、それまで目を掛けていたステイシーとの競争で追い抜く姿に、自らの夢を重ねる院長。
だが、その夢というのは、有名私立校から誘われた陸上競技試合で、優勝カップを己の手中に収めることであった。
以後、何かとスミスに目を掛ける院長。当然、寮長でもあり、長距離走で優勝し、退院を目論んでいたステイシーは面白くない。そんな彼をどこかバカにしたように練習を続けるスミス。
遂に、ステイシーの怒りが爆発して・・・
青年成長期の持って行き場のない閉塞感を漲らせる佳作。
下級労働者で、病床に伏している、わがままな父親。浮気を繰り返す母親。所詮、下層階級で、将来の見込みもまったくない。ロクでもない人生が待っているだけとばかり、働こうともしない主人公。
それでも、異性への興味は尽きない。友人とつるんで無茶もする。それでも何ら、開放感もないし、やるせなさが際立つ始末。
そんな主人公が空き巣に入った挙句逮捕され、感化院に送られる。
映画は、草原を走る主人公の後ろ姿に被さる彼の独白で始まる。その独白で、彼なりのスタンスを語り、厭世感や閉塞感をこちらに伝えてくる。
そして感化院での日常が描かれ、そこに行きつく過去がフラッシュ・バックで描かれる進行となる。
父親は労働組合の幹部で、過労により病気になったが、薬を飲むことを拒み、わめき散らす。
やがて、家族に金が入ると、後先を考えず使いまくるような一家だ。しかし、主人公はそんな家族から一線を引き、金に執着がないかのような素振りを見せる。
しかし、それも主人公なりの反抗なのだ。要はその入手経緯に納得がいかず、そのことが主人公にとっては人間としての矜持なのだ。その証左に、やがて窃盗に走るのだから。
だが、そこには人としての矛盾がある。しかも、その目的も女性とのデート資金のためという刹那的理由だ。
そういった背景を描きながらの長距離走者としての閉鎖された中での日常生活が並行する。
しかも、そこに計算された緻密さはなく、どこか、敢えてアンバランスな編集のリズムによって綴っていくというトニー・リチャードソン監督の独特の作家性が浮ぶ。
主人公は自分の出自からして絶望を感じつつ、それでも声高に叫んだり、思想に走ったり、暴力で発散するという、大それたことをするわけでもないタイプ。
そこに映画として中途半端さを感じるか、等身大の青年として受け取るかで評価は別れよう。
作劇としても、性格設定を分かりやすくするという、ある意味での「あざとさ」はない。ゆえに、主人公の『反骨精神』もストレートではないという進行。
それでも、瑞々しさが際立つ作風。「走る」という単純な行動の中で浮かぶ『孤独』。
大人になりたいのか、それとも、それにより消失して行くものが存在するのか。もしくは何らかの希望なり、夢を見いだせるのか。
しかし、主人公は自問しない。かといって全力で人生から逃げている訳でもない。
それこそが主人公のジレンマであり、反骨精神の源となっているかのようだ。
走ることは決して前向きなことではないと謳う主人公が切ない。しかし、それでもラストに希望を見いだせることに、得も言えぬ高揚感と空虚さが両立する作品。