ラスト・ショー – THE LAST PICTURE SHOW (1971年)

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スタッフ
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
製作:スティーヴン・J・フルードマン
バート・シュナイダー
脚本:ラリー・マクマードリー、P・ボグダノヴィッチ
撮影:ロバート・サーティス


キャスト
ソニー / ティモシー・ボトムズ
デュエイン / ボー・ブリッジス
ジェシー / シビル・シェパード
サム / ベン・ジョンソン
ルース / クロリス・リーチマン
ロイス / エレン・バーンスティン
ジュヌヴィエーヴ / アイリーン・ブレナン
ビリー / サム・ボトムズ
レスター / ランディ・クェイド

日本公開: 1972年
製作国: アメリカ BBSプロ作品
配給: コロンビア


あらすじとコメント

前回の「赤い河」(1948)を見ると、連想するのが本作。何故かは言わぬが、本作を見た人間なら御理解いただけると思う。寂れた田舎町で繰り広げられる苦い青春映画の佳作。

アメリカ、テキサス1950年代初頭のころ。小さな田舎町に高校生サニ─(ティモシー・ボトムズ)や、同級生デュエイン(ジェフ・ブリッジス)らがいた。背伸びしたい年頃で、異性に目覚めながら悶々とする日々でもあった。一応のガール・フレンドがいる両名だが、サニ─はデュエインの恋人ジェシー(シビル・シェパード)に惹かれていた。

しかし、婚前交渉は御法度であり、キスしか出来ない。それでも、彼らは、ポンコツの軽トラックを共有しドライブに行ったり、サム(ベン・ジョンソン)の経営する唯一の映画館でデートを重ねていた。

そんなある日、サニーは所属するフットボール・チームのコーチから、妻のルース(クロリス・リーチマン)を病院まで連れて行ってくれと頼まれて・・・

狭すぎる町で起きる人間模様を若者中心に描いた佳作。

丁度、第二次大戦と朝鮮戦争の間の時期。保守的なテキサスの田舎で生きるしかない人々。狭い町ゆえ、噂はあっという間に拡がるような場所でもある。

そこで童貞の高校生たちが望むことはただひとつである。それは純潔の少女たちも同じだ。そして大人たちも様々な鬱憤が募っている。

まるで、テネシー・ウィリアムスの戯曲のような設定。むせかえるような暑さは感じないものの、乾いた空気感がそれぞれのキャラクターを印象付けて行く進行。

主人公たちが大人へのステップとして、何人もの初体験シーンが登場するのだが、そのどれもが残酷なのである。人生には夢も希望もないのかと思わせる展開であり、町の大人たちは、その果ての人生を送っていると感じさせる。

そして、本作で描かれる主軸は人間の残虐性である。自己中心の身勝手さは当然としても、時として、優しさが相手をどれだけ傷つけるかという個人主義と保守性の「いびつさ」。

そんな中で、本作の白眉の登場人物は二名だと感じた。

一人は聾唖者の少年。本作の緩衝材的役どころなのだが、決して、暖かく見つめられない。

そして、何よりも、人生の酸いも甘いも噛み分けた映画館兼食堂のオーナー。

このオーナー役を演じたベン・ジョンソンが圧倒的過ぎるほどの存在感を見せる。その証左に、彼は本作でアカデミー助演男優賞を筆頭に、ほぼその年の賞を総ナメにした。

監督は映画評論家上がりのピーター・ボグダノヴィッチ。ゆえに彼の映画に対する愛情は半端ではなく、デビュー作「殺人者はライフルを持っている!」(未・1968)でも遺憾なく発揮され、本作でもその「映画愛」を感じ取れるだろう。

自分も映画好きとして、評論家上がりの作家の中では好きな方であった。ただし、「ペーパー・ムーン」(1973)以降の作品には、映画への愛情過多と、思い込みの激しさが空回りしている作品ばかりなのは残念である。

敢えて、時代性をだすために白黒作品として作り、冒頭では、出演者のベン・ジョンソンへのオマージュとして、彼自身の出世作であるジョン・フォード監督の「幌馬車」(1950)のポスターの前に、彼を立たせるというファン心理を突いた演出もある。

しかし、洒落ているのはそこだけで、以後は、重い人間ドラマとなる。静かだし、劇的に盛り上げる技法も用いないが、俳優たちの名演とも相まって、寂れた感のある力作である。

余談雑談 2014年2月15日
先週の土曜日。東京では半世紀ぶりらしい大雪が降った。どこかの雪国の吹雪かと思えるように降り積もる雪は、自室の窓からいつも見える最長電波塔を完全に視界から消し去った。大して離れていなのにである。 翌日の日曜は快晴で、昼前に母の住む実家へ向かっ