スタッフ
監督:ロバート・アルドリッチ
製作:ハロルド・ヘクト
脚本:ジェームス・R・ウェッブ
撮影:アーネスト・ラズロ
音楽:デヴィッド・ラクシン
キャスト
マサイ / バート・ランカスター
ナリンル / ジーン・ピータース
シーバー / ジョン・マッキンタイア
ホンドー / チャールス・ブロンソン
ワドル / ジョン・デナー
サントス / ポール・ギルフォイル
ベック大佐 / ウォルター・サンド
ドーソン / モーリス・アンクラム
ジェロニモ / モント・ブルー
日本公開: 1954年
製作国: アメリカ ヘクト&ランカスター・プロ作品
配給: 松竹、ユナイト
あらすじとコメント
今回もバート・ランカスター主演で、先住民との戦いがメインの西部劇。ただし、今回は、彼自身が誇り高きアパッチを演じる作品で、時代のうねりを感じさせる映画。
アメリカ、南西部1886年、遂にアパッチ族が政府側に降伏した。しかし、戦士であるマサイ(バート・ランカスター)だけは、和平を嫌い、単身闘いを挑んだ。そんな彼を慕い、助けようとする酋長の娘ナリンル(ジーン・ピータース)。
しかし、あまりにも多勢に無勢。すぐに逮捕され、他の仲間たちと、遥かフロリダの居留地へ護送されることになった。それでも、あきらめないマサイは、護衛兵らの目を盗み、脱走した。
彼は徒歩で故郷を目指す途中、セントルイスの町に着き、文明を初めて知る。しかし、脱走者であることを見破られ、命からがら逃げ伸び、何とか忍び込んだ民家で、既に白人たちと共生しているチェロキー族の男と会う。
マサイは誇りを捨てたと非難するが、彼は、静かに頷くと、トウモロコシの種を渡した。「我々は、猟に成功すると踊り、失敗すると飢えた。しかし、白人は種を植え育てたから、常に飢えなかった。我々も見習うべきだ」。
そんな彼をバカにしつつ、故郷に辿りついたが・・・
気高い孤高の戦士が、時代に抗しながら辿りつく運命を描く作品。
白人との和平を嫌い、たった一人闘いを挑む男。味方は、酋長の娘のみである。
しかし、主人公は、娘が自分を裏切ったと思っている。娘に限らず、同士であったチェロキー族、また、白人に酒漬けにされ、懐柔された酋長。更には、騎兵隊の軍属として仕えるかつての仲間。しかも、その仲間は、酋長の娘を狙っている。
孤立無援でありながら、己の信条に従い、ゲリラ戦を繰り広げる。
一方の白人側もタイプは様々。というよりも、先住民を下等民族と思い、自分の名声のみを考える男が、たったひとりの悪役という存在。
後は、主人公に攻撃を受けながらも、一定の理解を示す軍隊の隊長や、長年、スカウトとして先住民の動向を知り尽くし、どこかで主人公の心と通じる男といった融合型が多い。
つまりは、それぞれに人間性があり、文明が入ったことにより、どんな民族であろうと一体化できるという、ある意味、理想主義的教条映画ともいえる。
その証左として、主人公は、彼を心底慕う酋長の娘に対してのいびつな愛情表現から、現在では完全にDVと受け取られる態度を取り続ける。
それでも、自らは愛を叫ばないが、我慢と忍耐とによって主人公への愛を表現するヒロインは、やはり、女性は圧倒的に強い存在であると示している。
そういった人間描写の連続とアクションというバランスのとれた展開。
ただし、反骨精神の塊である孤高の戦士が、やがて文明に特化されていく様を描く作品となっている。
しかし、そこには、どうしても「白人至上主義」が、声高に横たわるとも感じた。
協調や理解こそが、人類を平和に導くという価値観。確かに素晴らしいし、理想である。
狩猟民族であった先住民も、やがて、バランス感覚を持ち、地に足を着けた地道な生活こそが、安定な将来に繋がるというのも正しいのだろうが、どうしても、そうやって、どこか政府なり、白人が平民を従順させようとする啓蒙映画として、受け取ってしまう自分は天邪鬼なのだろうか。
その根拠になったのは、監督が、かのロバート・アルドリッチであること。以後、かなり反骨に満ちた男臭い作品を輩出するのだが、本作は、ほぼ、長編デビュー作でもあるからか、あまりにも予定調和が鼻に付いた。
それとも、このような映画製作を通してこそ、後のアルドリッチらしさが形成されたのであろうか。