スタッフ
監督:リチャード・フライシャー
製作:ウォルト・ディズニー
脚本:アール・フェルトン
撮影:フランツ・プラナー
音楽:ポール・J・スミス
キャスト
ランド / カーク・ダグラス
ネモ船長 / ジェームス・メイソン
アロナクス教授 / ポール・ルーカス
コンセイユ / ピーター・ローレ
一等航海士 / ロバート・J・ウィルク
ファラガット艦長 / テッド・デ・コルシア
ビリー / J・M・ケリガン
プレンティン誌記者 / デイトン・ルーミス
ポスト誌記者 / ジャック・ガーガン
日本公開: 1955年
製作国: アメリカ W・ディズニー・プロ作品
配給: 大映
あらすじとコメント
今回は、H・G・ウェルズではなく、別なSF作家ジュール・ヴェルヌ原作の映画化。ウェルズが、宇宙からの侵略者と対決するので、本来は、人類が月に行く「月世界旅行」(1902)にしたかったが、古すぎて資料がない。なので、こちらにした。『海』という自然に挑みながら大国と対峙する男の話で、共通するのは、壮絶な闘い。
アメリカ、サンフランシスコ19世紀中盤のこと。南太平洋で次々と艦船が怪物に襲われ沈没していた。それにより、該当海域を通過する船は、キャンセルが相次いでいた。
そんな中、フランス人でパリ博物館の研究員のアロマクス教授(ポール・ルーカス)と助手コンセイユ(ピーター・ローレ)は、アメリカ政府から、本来の目的地サイゴンへ送り届けることを条件に、怪物調査に参加するように要請された。
銛打ちのネットランド(カーク・ダグラス)も乗船していたが、三ヶ月経っても、怪物は発見できず、結局、怪物など存在しないという艦長の判断で調査は中止された。しかし、直後、近くを航行していた船が怪物に襲われ、沈没。すぐに迎撃を開始するが、体当たりをされて、ネットランドらは、海に投げだされてしまう。
漂流していると、いびつで大きな船のようなものが見えて・・・
巨大潜水艦と海底に理想の夢を重ねる男を巡るSFドラマ。
かつて、囚人として地獄のような労苦を味わった男が、一緒に脱獄した仲間らと秘密裏に南太平洋の小島に住みつき、人類では成しえなかった偉業として巨大潜水艦を作った。目標は世界平和だと掲げているが、やっていることは他の大国と同じこと。
つまりは独善的な独裁者。それを指摘しつつも、天才的な発明と行動力に、次第に惹かれて行く学者。しかし、一緒に助けられた教授の助手と銛打ち名人の若い男は違った。
主役はカリスマ性がある独裁者。そもそも船長であり、乗組員たちには絶対服従をさせるという、どこか、宗教集団的でもある。
そんな独裁者が、何故、助けた三人を特別扱いして、生かせ続けておくのかというミステリーに加え、海底で起きるアクションやサスペンス、艦艇を襲撃したり、嵐に遭遇するという迫力あるスペクタクルが加味される。
ストーリィ自体は、ほぼ潜水艦の中や海底で描かれるのだが、リチャード・フライシャーの中々、シャープな演出によって、メリハリのある進行である。
原作がジュール・ヴェルヌによって書かれたのが140年以上も前。どれほど斬新な内容であったことか。また、本作製作当時は現在のようなコンピューター処理によるVFXもないのに、これだけ瞳目する特撮にも注目したい。
潜水艦のデザインやら、艦船襲撃の迫力、巨大イカとの戦い、大爆破シーンなど、作りものと分かるが、実に見事。
出演者の中では、独裁者であるネモ船長を演じたジェームス・メイソンの気品ある異常者が際立っている。彼なしで本作は成立しないとさえ感じる。
天才的人間の崇高なる驕りが引き起こす悲劇。
アメリカを含めた、大国それぞれの正義。確かにネモ船長は独善的ゆえの因果応報が待ち受けるが、それでも、気品高さが漂う。
学がないゆえに、直情型の行動ばかり取る銛打ち、自分に自信がないゆえにすぐに寝返る助手。ネモ船長と同じ匂いを持ちながら、文明的大国人の常識に縛られる教授。
つまり世界はバランスによって 保たれていると思いながら、結局は、戦争によって優劣を付けたがる大国。
それに一矢報いようとする天才。しかし、結局は『闘い』なのである。
それは自己とでもあり、他人に犠牲を強いる類のものでもある。
それが人間という、悲しい性を背負って生きるものであり、海底に生息する魚類とは違うのであると。
しかし、140年経っても、人間とは普遍的な堂々巡りを続ける生命体であるとも教えてくれる原作。
ディズニー映画といえば、ファミリー向けに制作されているものも多いが、本作は大人の鑑賞にも耐えうる立派な作品である。