スタッフ
監督:バジル・ディアディン
製作:マイケル・レルフ
脚本:バジル・ディアディン、マイケル・レルフ
撮影:トニー・スプラトリング
音楽:マイケル・J・ルイス
キャスト
ペルハム / ロジャー・ムーア
イヴ / ヒルデガード・ニール
ルイジ / ケヴォーグ・マリキヤン
ベラミー / ソーリー・ウォルタース
アレキサンダー / アントン・ロジャース
ハリス医師 / フレディー・ジョーンズ
ジュリー / オルガ・ジョージス・ピコット
フリーマン卿 / ジョン・ウェルシュ
バートン / エドワード・チャップマン
日本公開: 未公開
製作国: イギリス ABP作品
配給: なし
あらすじとコメント
ロジャー・ムーア主演作の異色日本未公開作を選んでみた。人格分裂をミステリー・タッチで描くサイコ・ホラー的作品。
イギリス、ロンドン海洋工学機器の会社役員ペルハム(ロジャー・ムーア)は、自分の車で帰宅途中、異様な感じに包まれた。すると突然、人が変わったように荒っぽい運転になり、猛スピードで疾走を始める。
何かに取り憑かれたようで、挙句、事故を起こして病院に救急搬送された。妻のイヴ(ヒルデガード・ニール)や同僚が駆けつける中、医師らによって緊急手術が開始されるが、突如、心肺停止状態に陥ってしまう。
医師らが必死に心臓マッサージを施すと何とか回復した。ところが、その時、なぜか、心拍数が二本現れて・・・
人間の二面性をミステリー・タッチで描くサイコ・サスペンス。
突如、憑依されたかのように、全くの別人格になる男。一度は心臓が停止するが、奇跡的に回復。しかし退院後、まったく身に覚えのない不思議な出来事が起こるようになる。
それは、美人女性カメラマンが妙に、訳ありのような態度を取ってきたり、会社の合併話を陰で自分が誘導して来たかのような証言がでてきたりと、まるで違う自分が存在するかのような感覚に苛まれるようになる。
それにより、妻は子供を連れ実家に戻ってしまい、それまでの謹厳実直であったお堅い生活が崩壊し、自分が精神病になったのかと恐怖感にかられる。
描かれるのは『紳士』として生きる抑圧した自己と、秘めたる欲望の解放という人間の二面性である。
通常、その手の映画はヒッチコックの「サイコ」(1960)に代表されるように、ひとりの人間が突如、豹変して、別人格として行動し、もうひとりの自分が、その言動を覚えていないというのが普通の設定だろう。
ところが、本作は違う展開を見せる。どうやら、別な自分が肉体的にも存在し、まったく同じ着衣を身にまとい、さも自分であるかのように振る舞い、主人公がそこに登場する直前、既にそこで別行動を取っている展開となる。
つまり、同一人物が違う場所に存在するという『ドッペルゲンガー』を描いた作品なのである。
当然、科学的実証はされていない現象であり、ある意味、映画の題材としては扱いやすい種類のものかもしれない。
本人に自覚がないまま、抑圧から解放された別な自分が肉体共々、存在する。
それをまったく信じられない主人公は、自分で解明しようとしていくから、問題が悪化していくのだ。
主演のロジャー・ムーアは007シリーズの主演前で、認知度が低かったころ。一方、監督のバジル・ディアディンは、バルコン・タッチの傑作の一本「波止場の弾痕」(1951)や、リストラされた元将校たちが、軍隊式に銀行強盗を企てるブラック・ユーモアに溢れた「紳士同盟」(1960)など、ここでも数本扱った贔屓の英国監督のひとりで、本作が劇場用映画の遺作。
往年の元気さはないが、ヴェテラン監督らしい安定感がある。
そもそも世界的に映画界自体が、テレビの影響で元気がなく、暗中模索していた時期でもあるが、その中でも、ヴェテラン監督の矜持が嗅ぎ取とれる。
ヒッチコックとは違うサスペンス場面の盛り上げ方など、円熟味を感じさせ上手い。
冒頭の事故シーンから徐々に演出法を変え、いよいよ別な本人が足元だけ登場してきたり、抑圧からの解放によって購入したと思しきスポーツカーが、自分は会社にいるのに自宅に止まっていて、妻と会っている節があったりと、サスペンス場面の盛り上げ方も、始めとは敢えて別な技法を用いながらも、一定していて小気味良い。
編集のリズム感や息を飲むオーヴァー・ラップ。反復による刷り込みの喚起で、サスペンスを盛り上げる。
特に、クライマックスの緊張感から、思わずニヤリとさせられるラストまで、中々どうして、拾いモノである。