スタッフ
監督:ケヴィン・リマ
製作:バリー・ソネンフェルド、バリー・ジョセフソン
脚本:ビル・ケリー
撮影:ドン・バージェス
音楽:アラン・メンケン
キャスト
ジゼル / エイミー・アダムス
フィリップ / パトリック・デンプシー
ナリッサ女王 / スーザン・サランドン
エドワード王子 / ジェームス・マースデン
モーガン / レイチェル・コヴィ
ナサニエル / ティモシー・スポール
ナンシー / イディナ・メンデル
ピップ / ケヴィン・リマ
ナレーター / ジュリー・アンドリュース
日本公開: 2008年
製作国: アメリカ W・ディズニー・ピクチャーズ作品
配給: ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
あらすじとコメント
今回も、割と近年の作品。前回の「その男ヴァン・ダム」(2008)と共通するのは、セルフ・パロディ。アニメを筆頭に、夢と娯楽に満ちた作品を多く輩出してきたディズニーが放った、中々、洒落たパロディ作。
架空の国アンダレーシア森に住むジゼルは、いつか王子様と出会って、ひと目で恋に落ち、結婚し、そのまま生涯幸せに暮らしましたとさ的願望を夢見ていた。そんな彼女を助ける、森の動物たち。
偶然、魔物退治をしていたエドワード王子が、そんな彼女の歌声を聴きつけた。歌に惹きつけられ、二人は運命の出会いをしてしまう。それに恐怖を感じていたのはナリック女王だ。
女王は、王子が幸せな結婚をすると、きっと自分を追いだすに違いないという妄想に取りつかれていたからだ。しかし、トントン拍子に結婚が決まり、遂に結婚式当日を迎えた。
お城で待つ王子に解らぬように、魔女に変身した女王は、ジゼルをだまし、願いが叶うという「魔法の井戸」をのぞかせた。その瞬間、女王は、彼女を井戸に突き落とした。「フン、『いつまでも幸せに』が、どこにもない場所に行っておしまい!」と。
井戸の奥深く落ちて行ったジゼル(エイニー・アダムス)が、たどり着いた場所とは・・・
おとぎの国の乙女が、ニューヨークで巻き起こす騒動を描くロマンティック・コメディ。
いかにものディズニー・アニメで幕が開き、夢見る乙女と森の仲間たちで楽しく歌い踊る。ところが、妬みの塊の女王が、どこかで見た魔女そっくりに変身し、ヒロインを『夢も希望もない場所』へ落とし込んでしまう。
そして、ヒロインがたどり着くのが、現代ニュー・ヨーク。しかも、マンホールからの登場で、その瞬間から、実写となる展開。
何とも、おかしくて、思わず膝を叩いた。だが、ヒロインの設定は『夢の森の住民』そのままなのである。
猥雑で物騒な場所で、そんなアニメのヒロインが、森の価値観で行動するとどうなるか。しかも、結婚式当日なのでウエディング・ドレス姿である。
周囲の人間らから見れば、当然、変わり者というか、『行っちゃってる人』である。そして純真無垢な彼女は、いきなり現代社会の洗礼を受け続けることになる。
どう考えても、現代人にとっては、完全に迷惑者というか、薬物中毒患者的に見られるから、笑ってしまうのだ。ある意味、『フーテンの寅さん』のような、自分の思い込みだけで、周囲の空気を全く読めない人物でもあるから。
そんな彼女を、素直に受け入れるのが6歳の少女。少女からすれば、未だ、おとぎ話を信じられる年頃でもある。
というか、両親は離婚し、彼女の親権を持つ離婚弁護士の父親は、再婚を意識している。多感な少女にとっては、そういう現実こそがストレスの種なのである。
娘の要望で、ウエディング・ドレス姿のヒロインを一晩アパートに泊めたことから、話はややこしくなるのは当然の理。
翌朝、一宿一飯の恩義としてヒロインが掃除をしようと歌を口ずさむと、その歌声に惹かれて現代社会での仲間たちがやって来る。
とはいっても、森と違い、鹿やウサギはいない。では、何がやってくるのか。
NYでペットではなく、自由に生息する生き物たちだ。何と、鳩、どぶネズミ、ゴキブリである。
そ奴らが、歌声に乗って、部屋の掃除をテキパキと片付けて行く場面には爆笑した。当然、父娘はそれを見て、部屋に害虫がいっぱいいるので大騒ぎ。そこに再婚相手も来るから大悲劇である。
更に、ヒロインを追って、結婚相手の王子、ヒロインを完全に亡き者としようとする女王の下僕、彼女の親友のリスまでもがニュー・ヨークに実写版となって来る。
下僕がヒロインを殺害しようとするのは「毒リンゴ」。ダンス・パーティーでは「ガラスの靴」。
完全にセルフ・パロディの世界であり、夢と現実が混合すると、どういうことになるのかというシニカルな視点と、それでも、やっぱりディズニー映画という進行。
現実社会に疲弊し、自分にもこんな子供時代があったと郷愁感も誘われる。実写とアニメ。ロマンティックでハートフル。
こういうニコニコできる映画は、大好きである。