スタッフ
監督:キャロル・リード
製作:キャロル・リード
脚本:フィリップ・ダン
撮影:レオン・シャムロイ
音楽:アレックス・ノース
キャスト
ボナロッティ / チャールトン・ヘストン
ユリウス二世 / レックス・ハリソン
コンテシーナ / ダイアン・シレント
ブラマンティ / ハリー・アンドリュース
ウルビーノの公爵 / アルベルト・ルーポ
デ・メディチ / アドルフォ・セリ
サンガロ / ジョン・スティシー
石工頭 / ファウスト・トッツィ
ラファエロ / トーマス・ミリアン
日本公開: 1966年
製作国: アメリカ キャロル・リード・プロ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
往年の史劇大作で活躍したチャールトン・ヘストン。今回もそんな一本。ヴァティカン市国内にある、システィーナ礼拝堂の天井フレスコ画を描いたミケランジェロと法王との関わりを描く立派な大作。
イタリア、ローマ1508年、法王ユリウス二世(レックス・ハリソン)は、遠征から帰還すると、すぐに休日にも関わらず、彫刻家のミケランジェロ・ボナロッティ(チャールトン・ヘストン)を呼びだした。
そして、法王廟のために依頼した彫刻を即刻中止せよと言いだした。寝耳に水の話で、当然、納得がいかないボナロッティ。更に、法王は、自分の権力誇示と名誉のためでなく、神を崇めるために、建築家ブラマンティ(ハリー・アンドリュース)に、二千名の職工を動員し、サン・ピエトロ寺院の建造を命じたと。
続いて法王は、寺院建設予定地に隣接する、自らが建てたシスティーナ礼拝堂にボナロッティを連れて行った。そこで天井を見上げると、この全体に、使徒のフレスコ画を描けと、平然と命じる。驚くボナロッティだが、毅然と答えた。
自分は画家でなく、彫刻家だ、と・・・
芸術家とパトロンでもある法王との確執と壮絶な二人の人生を描く力作。
フィレンツェ人であり、その地の名門メディチ家の娘を妻に持つ芸術家。「法王」というよりも、「武将」というイメージが勝る繊細さと豪放さを併せ持つ男。
主軸は、この二人。キリスト教信者である芸術家は、自分の意に反する仕事ばかりを要求する法王に反発したいが、それは天に向ってツバを吐くようなものというジレンマが混在する。
法王も自分の名誉欲のためではないと言いつつも、どこかぞんざいである。
また、サンピエトロ寺院を担当する建築家は権謀術数に長けたタイプで、ミケランジェロを信用せず、自分の意に叶ったラファエロを推薦したりする。
主人公であるミケランジェロは、芸術家としてありがちなタイプだが、等身大の人間であり、本来、自分は彫刻家だという自負がある。しかも、彫刻に関しては、大理石の中から勝手に対象がでてくる、と豪語するタイプでもある。
しかし、図面を作成し、それに則って描くフレスコ画は、何らかのインスパイアが得られないと筆が進まない。当然、進行しては中断するを繰り返す。
一向に進まない天井画に、法王を筆頭に周囲の人間たちもジレンマを隠さない。
やがて、一度は放棄して逃げだしたミケランジェロは、インスパイアを受け、憑かれたように取り組み始める一方で、法王は戦争に負け始める。
常に主役二人の明暗が背離しながら進行していく。
ミケランジェロを演じたヘストンも、中々、上手いが、後半から、やっと真意がこちらに伝わってくる法王を演じたレックス・ハリソンの演技は見事である。
流石のイギリス俳優であると溜息がでた。
作劇としては、冒頭ミケランジェロの作品群が映しだされ、美術系教養番組かのように始まる。
おやおや教条映画なのかと思うが、本編部分に入ると名匠キャロル・リードによる、草むらと丘陵という地形を上手く使った戦闘シーンが描かれる。
老いていたとはいえ、流石の名匠だと唸った。
以後も、荒涼としたカラーラの採石場、巨大セットで組まれたシスティーナ礼拝堂など、スケール感溢れる大作として、上手く制作されていると感じた。
また、2時間40分という上映時間も、一応の大作扱いであるが、バランスが取れている進行ゆえ長さを感じさせなかった。
ただ、残念なのは、本作のラストで映しだされる実物のフレスコ画が、修復以前のもので、映画で再現された色合いと違い過ぎるのが難点だと感じた。
現在は、システィーナ礼拝堂の実物のフレスコ画は、日本資本も参加し、完全修復が行われ、ミケランジェロが描いた当時の壮観さが復元されている。
自分も修復後の本物を見たが、気色悪いほどの極彩色で、圧迫感と複雑な情念のようなものを感じた。
故に、本作のラストの映像を現在のものと差し替えたら、本作の主旨が一層、浮かび上がり、秀作となりえるだろうと思った。
それでも、壮大なスケールで描かれる、小さな人間の壮言な心情を見事に伝える力作である。