さらばバルデス – THE VALDEZ’ HORSES(1973年)

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スタッフ
監督:ジョン・スタージェス
製作:ディノ・ディ・ラウレンティス
脚本:J・スタージェス、クレア・ハフェーカー
撮影アルマンド・ナンヌッツィ
音楽:グイド&マウリツィオ・デ・アンジェリス

キャスト
バルデス / チャールス・ブロンソン
キャサリン / ジル・アイアランド
マラル / マルセル・ボズッフィ
ワグナー / ヴィンセント・ヴァン・パタン
クルス / ファウスト・トッツィ
保安官 / エットーレ・マンニ
酋長 / コラッド・ガイパ
先住民の娘 / メリッサ・キメンティ
リトル・ベア / フロレンチョ・アマリッラ

日本公開: 1974年
製作国: 伊、スペイン、仏 D・D・ラウレンティス・プロ作品
配給: 日本ヘラルド


あらすじとコメント

今回も孤独な中年男がさりげなく若者を育てる西部劇。ウェスタン終焉期の作品で、ジョン・スタージェス監督なりの挽歌でもある。

アメリカ、ニュー・メキシコ荒野でたったひとり、野性馬を調教しているバルデス(チャールス・ブロンソン)の元へ、ワグナー少年(ヴィンセント・ヴァン・パタン)が、道を尋ねに立ち寄った。

無口で武骨なバルデスは、ぶっきらぼうに目的地を教えた。ワグナー少年は仕事を求めて、ある牧場へ行こうとしていたのだ。だが、彼が育てている馬を見て、ここで働かせてもらえないかと言う少年。訝しがるように少年を見たバルデスは、また、ぶっきらぼうに、乗って来た馬を休ませるために、一晩だけ泊まって良いと答える。

翌日、懸命に働く少年に、今日は町に行って馬を売る日だから付いてくるかと誘った。自分が少しでも認めてもらえたと喜ぶワグナー少年。

二人で町に行くと、馬車に乗った美女キャサリン(ジル・アイアランド)がやって来た。彼女に見とれるバルデス。しかし、町の人間らは、バルデスに不快感を露わにした・・・

先住民とのハーフである孤独な中年男の挽歌を描く静かな作品。

白人社会から忌み嫌われている男。人の気のない場所で、たったひとり、野生の馬を調教し、売買することで細々と生計を立てている。

そんな孤独な中年男の元へ、彼を慕う少年が出現する。余計な会話はしないが、嫌というほど孤独を噛みしめて生きてきた彼に、ふと、人とのふれあいの嬉しさをもたらす。そして、心動かされる美女の出現で、更に人間らしい感情を取り戻していく。

無学で武骨で腕っぷしが強い。西部で生き抜いてくるには、必要な、否や、必然に身に付いた術なのだろうか。そんな彼は、先住民は友人だと言い、少年も、野生馬のたくましさと美しさに魅了される。そして、野生馬に主人公を重ねる美女。

しかし、美女の兄は別である。その地の実力者として振る舞い、時代を上手く取り込んで、主人公を追い出しにかかる。

自分で指をさし、「ここは俺の土地だ」と言えば済んだ時代は終わり、法に則って計測し、登記すると以前のように「俺の土地」では収まらなくなる。だが、野生馬にとっては関係ないこと。

だから、主人公の馬が境界線として敷設された鉄条網で怪我をし、死んでも、土地所有者はどこ吹く風である。しかも、金にモノを言わせ、手下を雇い、主人公への圧力を強めてくる。まして大事な妹に手を付けようとしていれば尚更である。だが、美女も主人公に惹かれていくから、話はややこしくなっていくのだ。

製作費の掛かっていない小品。それこそ、『西部劇』というジャンルが終焉していった時期の作品であり、西部劇で活躍してきた主役のブロンソンもスタージェス監督も、それを痛感していたであろう。

特に、『決闘三部作』や、「ブラボー砦の脱出」(1953)、「荒野の七人」(1960)といった西部劇の作品群を輩出してきたスタージェス監督が、自分なりの『ケリ』をつけた作品だと感じる。

それは、サム・ペキンパーに代表される、どこかセンチメンタリズム的な挽歌と違い、実際に西部劇黄金時代を生き抜いてきたスタージェスゆえの決着の付け方だろうと感じた。

おしどり夫婦で、常に共演していたブロンソンとアイアランドの共演はご愛嬌だとしても、既に、イタリア製マカロニ・ウェスタンが認知されていた時期に、敢えて、そのイタリア資本で、アメリカ製らしからぬ挽歌として不思議なティストで撮り上げた小品。

だが、そのチープさが寂寥感を喚起させるのだ。

余談雑談 2015年1月3日
年が明けた。元日は、東京でも粉雪が舞い、昨年末の旅行を想起させた。 そんな去年は、旅行の思い出と共に、良い年で終わるはずだった。ところがどうだ。やはり、人生はそう上手く行かない。 30日の夜、自宅で夕食を摂っていたら、何と、突然、インプラン