先週、このメルマガを出す寸前に声優の大塚周夫の訃報を知った。丁度、扱った先品が「あの高地を取れ」(1953)で何というタイミングかと思ったが、流石にここで書くには間に合わなかった。
昔のテレビで、各局、毎晩のように放送されていた洋画劇場は吹替えが主流であった。そして、『フィックス』と呼ばれる、この俳優にはこの声優というイメージが出来ており、リチャード・ウィドマークとチャールス・ブロンソンは、決まって大塚周夫だった。
元々は俳優であり、時々、普通のドラマに出演していると、顔がウィドマークにもブロンソンにも似ておらず、複雑な心境に陥った記憶がある。
しかし、昨今のアニメ主体の声優が、外国俳優のアテレコをして、珍妙に感じるのとは違い、基本が違うと感じさせる声優でもあった。
大塚に限らず、昔の声優は売れない俳優が多く、また何らかの形で戦争体験者であり、戦中、戦後の貧困の時代を生きていたからか、「声」だけでも、抜群の存在感を表現していたと感じる。何も、これは昔の声優に限らず、現在の中堅以下の俳優にも当て嵌まると感じるのだが。
思い起こすと、大塚周夫といえば、上記の二人が有名だが、一時期、ピーター・セラーズとジャック・パランスもアテていた。
他にも、ピーター・フォークやエリ・ウォラックも、初期の頃にアテている。尤も、フォークとウォラックは彼の後、NET(現・テレビ朝日)系では、穂積隆信がずっとフィックスなのが興味深い。まあ、これはTV局ではなく、吹替え版を制作していた東北新社等の担当者の嗜好だが。
どの道、自分らが慣れ親しんだ「声優」はほぼ鬼籍に入った。何とか、現在でも時々声を聴けるのは羽佐間道夫と小林清志、中村正ぐらいかもしれない。
昨今は、自分のようなTV洋画劇場で育った人間に買わせようと、古い映画には昔のままの吹替版を収録したDVDなりが多く発売されている。ずるいと感じるのは、新録吹替版で発売しておいて、ブルー・レイで再発売するときに新たに旧吹替版を加えたりしていることだ。
そんな再発売版で、躊躇しているのが二本。「十二人の怒れる男」と「博士の異常な愛情」。二作品とも、大塚周夫の声が聞けるのだ。
追悼を言い訳にして購入するか。おっと、その前にブルーレイ・プレーヤーを買わなきゃな。
などと、どこかの店で酒を飲みながら考えるから、一向に買えないんだよな。