スタッフ
監督:ウィリアム・A・フレイカー
製作:ハル・ランダース、ボビー・ロバーツ
脚本:ルーカス・ヘター、デヴィッド・Z・グッドマン
撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ
音楽:ジョン・バリー
キャスト
ウォルシュ / リー・マーヴィン
マルティーヌ / ジャンヌ・モロー
チェット / ジャック・パランス
ショーティ / ミッチ・ライアン
ブレナン / ジム・ディヴィス
マリー / アリン・アン・マクレリー
ルーファス / マット・クラーク
パウダー / ビリー・グリーン・ブッシュ
ジョンソン / マイケル・コンラッド
日本公開: 1971年
製作国: アメリカ ランダース&ロバーツ・プロ作品
配給: 東宝東和
あらすじとコメント
今回もリー・マーヴィン主演作。強烈な悪役としてデビューした個性派俳優で、同じく、秀作西部劇「シェーン」(1953)で『強烈な悪役』という印象が強いジャック・パランスが絡む。しかも、題材は二人が長年悪役の脇役として出演し続けた『西部劇』というジャンル。それなのにヒロインは、これぞフランス女優のジャンヌ・モロー。これらが見事にマッチするのだろうか。
アメリカ、ニュー・メキシコガンマンやカウボーイという、己の力だけで生きる男たちの時代は終焉を迎え、合理化の波が押し寄せていたころ。
初老のカウボーイ・コンビのウォルシュ(リー・マーヴィン)とローリンズ(ジャック・パランス)が、職を求めて昔馴染みの牧場を訪ねてきた。しかし、そこも東部の大企業の傘下となり、旧友である牧場主は単なる管理人になっていた。それでも、彼らを雇ってくれた。
そこには、喧嘩っ早いショーティ(ミッチ・ライアン)らの若者がいて、隔世感が漂うものの、慣れた仕事に就ける歓びを噛みしめる二人。
そんなウォルシュは、かねてからの知り合いで、フランス女性マルティーヌ(ジャンヌ・モロー)を訪ね、懐かしさを噛みしめながら、楽しい一夜を共にした。
翌日から、カウボーイの仕事が始まったが・・・
時代の流れと、人間の寄る年波がシンクロする西部劇の挽歌を謳う好編。
『カウボーイ』という職業でしか生きてこられなかった男二人。陽気だが、死線を潜り抜けてきたという風情の主人公。相棒は、無口だが責任感がある。
しかし、自分らの年齢を感じざるを得ないのも事実。それでも、今更、方向転換など出来ぬと笑う。そして、伯爵夫人だったらしいが、場末のミュージック・ホールの女になっているフランス女性。彼女も秘めた熱情を持っているようだ。
その一方で、若者たちの立場は微妙だ。経験値は浅いの、実力を過信している。
とはいえ、時代は変わっているし、別なチャンスを探そうともせず、とりあえずカウボーイでもして暮らすかという、何ら先見性など持ち合わせていない場当たり的な印象も見受けられる。だから、経営難から解雇者をだすように東部から命じられると、人生の先が長いからと解雇される。
そんな若者に餞別を渡す主人公ら。渋い友情と不器用なロマンが漂う瞬間。
しかし、以後、その若者の人生は急降下していく。
登場してくるのは、全員、不器用で時代に取り残された人間たち。厭世感と現実を生きるのが精一杯という風情だ。
主人公は、フランス女と愛し合っているが、「カウボーイとは金がない職業だから、生涯結婚すべきではない」という持論を持っている。
それでも、『結婚』という言葉を聞きたいと願う女。誰を取っても幸運に見放された風情だ。
やがて牧場を去った若者は犯罪者へと身を落していき、長年の相棒は、年齢的に限界を感じるからカウボーイを辞め、未亡人と再婚して雑貨屋でもやろうかと考える。
しかし、主人公は、昔のままでしか生きられない。
完全にアメリカン・ニュー・シネマの影響で、終焉を迎えていた西部劇の変化形。
それでも、酒場での乱闘や銃撃戦など、往年の作品群へのオマージュを散りばめた進行で、逆に胸が痛む。
解雇される前に、若者が乗りこなせなかった暴れ馬を発見し、主人公がとる、後半でのエピソードなど泣かせる。
どこか自暴自棄になりながら、それでも己の生きてきた価値観で人生を全うしようとする主人公。
だが、映画は、益々、悲劇性を強めていく。カウボーイという職業の生活をじっくり描く前半から、徐々にそれぞれの悲劇性が加速する展開。
新人監督で、カメラマン上がりのウィリアム・A・フレイカーの抑制の利いた演出。しかし、何といっても、主役のマーヴィン、相棒のジャック・パランス、薄幸さを滲ませる艶っぽい演技を披露するジャンヌ・モローらの演技は見事。
特に、カウボーイ生活と決別しようと主人公にリタイアを告げる相棒の姿を描く場面の二人の演技はしみじみさの中に滋味があり、絶品。
不器用さが美学となる、負け犬的生き様を描いた佳作である。