来週、東日本大震災から五年目を迎える。まだまだ、様々な面で遅れていることが多い。そんな中、東京では「上野東京ライン」が開通する。
東北からの玄関口と呼ばれた上野駅。それが終点ではなくなり、単なる通過駅だ。下町に住む人間としては、多少、複雑な心境でもある。
震災復興の『絆』は良いが、何でも繋がればいいとは思わないのが本音。否や、それが復興促進の一環という人も多いだろう。
震災直後は、首都機能の分散化なども揶揄されたが、結局、四年もするとそれはそれ、ということで「東京駅」に一極集中だ。
あの日、東京では、JRは早々に運休を決め駅のシャッターを下ろし被災者を締め出した。当時の都知事ならずとも、激怒したに違いない。
あの日、誰もがパニックに陥りながらも冷静に対処した。政治やエリート意識の高い人々に頼らず助け合った。
テレビでは、彼らの本能としての「おいしい映像」である、悲惨な映像ばかりが繰り返し流された。
しかし、自分としては忘れられないことのひとつに、当日、一番最初に復旧した路線のことがある。東京メトロの「銀座線」だ。
何故か。東洋一古い地下鐡道は、以後の路線と車両への電源供給方法が異なるのだ。だから、他の私鉄路線と乗り入れが出来ない。つまり、銀座線軌道に入った瞬間に停車してしてしまうわけである。
それゆえ、震災日の夜、一番に復旧したのが、銀座線全線と半蔵門線の一部。これが他路線と乗り入れだったら不可能であっただろう。
やはり、何でも繋がれば良いってもんじゃないと思うんだけどな。
それでも『勝てば官軍』。この言葉も「江戸っ子もどき」としては言いたいことがあるのだが、まあ、それはまた、別な機会に。