雨に濡れた欲情 – MISS SADIE THOMPSON(1953年)

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スタッフ
監督:カーティス・バーンハート
製作:ジェリー・ウォルド
脚本:ハリー・クライナー
撮影:チャールス・ロートン jr
音楽:モーリス・ストロフ

キャスト
サディー / リタ・ヘイワース
ディヴィッドソン / ホセ・ファーラー
オハラ軍曹 / アルド・レイ
マクフェイル医師 / ラッセル・コリンズ
アミーナ / ディオーサ・コステロ
ホーン / ハリー・ベラヴァー
総督 / ウィルトン・グラフ
デヴィッドソン夫人 / ペギー・コンヴァース
エドワーズ / チャールス・ブロンソン

日本公開: 1954年
製作国: アメリカ ベックワース・プロ作品
配給: コロンビア


あらすじとコメント

前回は、亜熱帯地方で捕虜になったイギリス軍兵士と民間女性の恋模様を絡めた重苦しい作品だった。今回も、やはり南方で繰り広げられる兵士たちと民間女性が絡む、別な意味で閉塞感が漲る、重い人間模様を描いた作品にした。

太平洋上の小さな島。第二次大戦も終わり、駐屯しているアメリカの海兵隊員らは、暇を持て余す日々を送っていた。その中に、何度も転属願をだしながら、一向に許可が下りないオハラ軍曹(アルド・レイ)がいた。娯楽施設などなく、女性もいない場所。

今日の仕事は、部下と一緒に定期船で到着する荷物を港にピック・アップに行くことである。まったく、単調な仕事だ。炎天下、港で到着を待っていると、沖合いに停泊する大型船から小さなタグボートがやって来た。

降りてきたのは、この地域一帯を牛耳る宣教師のデヴィッドソン(ホセ・ファーラー)夫妻と医師夫妻。デヴィッドソンは、真摯なクリスチャンであり、厳格な戒律を重んじるタイプでもあった。しかし、彼の尽力で、島の病院も最先端の機器を備えていた。つまり、正論で正義に溢れた男であり、実力もあるので、誰も彼に反抗できない。彼の大いなる目標は、島民の文明的向上であった。

続いて、軍用物資を運ぶボートが到着してきた。しかし、その船上には、セクシーな美女サディ(リタ・ヘイワース)が乗っていた。オハラたちには驚天動地である。

ホノルルからニュー・カレドニアに行く途中だというサディをトラックに乗せたオハラたちは・・・

風光明媚ながら、閉塞感が重く覆う島で起きる人間模様。

米海兵隊が駐屯する何もない島に、訳アリ美女がやってくる。当然、兵隊たちは狂喜乱舞。ヒロインの方も、むさくるしい男たちに囲まれて女王様気取りだ。しかも、目的地行きの船が検疫のため、一週間の遅延が生じる。兵士たちはここぞとばかり猛アピールを開始する。

当然の理であろう。ところが、厳格で正論のみで生きる宣教師夫妻からすれば、唾棄するべき人物たちだ。つまり水と油。そこに彼女を心底愛してしまう軍曹が絡んでくる。

身勝手で、刹那的で悦楽主義者のヒロイン。自分の宗教感こそ崇高であり、絶対だと信じる宣教師は、すべての相手を服従させようとするタイプ。そして、知力より体力、つまりは本能で生きる軍曹。

それぞれの価値観がぶつかり合う。何としてもヒロインを懐柔したい宣教師は彼女の過去を探りだす。

まったくもって、厄介な男だ。しかも、やり過ぎ感はあるものの、全うな正論だから誰も文句を言えない。

次第に追い詰められていくヒロイン。重くなる一方の展開である。

完全懲悪も行き過ぎれば、ただの迷惑。当然、ヒロインと違い、完全孤立化していく。それでも、自分の価値観を曲げない宣教師。

どうにも意固地だ。やがて、宣教師の正論で、ヒロインに変化が生じてくる。しかし、変化が起きるのは彼女だけではない。

人間が持ち合わせる『業』と『闇』。それが南国の楽園で繰り広げられる。その落差。

落しどころは、そうなるだろうなと納得できなくはない。

出演者は、それぞれ力演。だが、ヘイワースに独特のハスキー・ヴォイスで数曲歌わせるという音楽映画的進行やら、何度も登場する同じシーンの刷り込みなどが、どうにも上手く作用せず、鷹揚すぎる演出が、何とも、お粗末な印象の作品になってしまっている。

余談雑談 2015年3月14日
先週末、銀座に所要があり、ついでとばかり、新橋まで足を延ばして、飲みに廻った。行く店は決まっている。 途中、新橋駅の「SL広場」を横切った。テレビのインタビューで、サラリーマンの意見を聞くというと決まって登場する場所。当然、そこには蒸気機関