余談雑談 2015年4月18日

愛川欽也の訃報が入って来た。長年続けたTV番組から突如、降板してすぐだ。

一般的には『司会者』というイメージが強いだろうが、元々は俳優であり、映画やドラマで活躍もしたが、個人的には、あくまでも『声優』である。

フィックスとして有名なのは、大好きなジャック・レモンだろう。また、コメディ系脇役で、やはり大好きなレッド・バトンズも印象に残る。だが、深夜ラジオのDJで有名になった以後は、吹替えに、自分の考えたギャグをアドリブで入れてみたり、いささか首を傾げる方向に行った印象もある。

深夜放送のパーソナリティー時代は火曜が彼の担当で、木曜が野沢那智。何度か、コラボしていたが、ある時、お互いがアラン・ドロンとジャック・レモンになりきってコメディ・ドラマをした時は笑ってしまった。タイトルも覚えている。「で、ハートの鍵貸します」。

また、どの程度の方がご存じだが解らぬが、彼は監督、主演など兼務した自主映画を何本も制作している。

その第一作目が「さよならモロッコ」(1974)である。「カサブランカ」(1942)にインスパイアされたコメディ作品だったが、どうにもトホホな印象しか残っていない。ただ、その作品で興味深かったのは、助演に穂積隆信が出演していたこと。

穂積は、愛川が声優を廃業した後、ジャック・レモンのフィックス声優になっていく。

実は、何度か彼自身と、ほんの一言二言話をしたことがるが、あまり好印象ではなかった。

一度は「さよならモロッコ」公開直後にTBSの前で出くわし、「グレート・レース」(1965)の前後篇での放映を知り、レモンの吹替えに関して尋いたとき。トニー・カーティスは広川太一郎だったが、ピーター・フォークは誰だったか覚えていなかった。で、放送を見たときに知ったのだが、フォークは穂積隆信だった。

あれだけ自身が宣伝していた自主製作映画の共演者であったのだが。

そもそも声優は、売れない俳優の仕事で海外ドラマの放送黎明期は、完全に格下と嫌われ、ギャラが安かった。そんな時期から声優をしていた彼と広川太一郎は事務所を起こし、高額になり、且つ、愛川は別な方向性を優先させ、声優の仕事を受けなくなったと聞いている。

一度だけ、アメリカの連ドラで、声優復帰したが、以後は、全く声優業から引退しているはず。確かに、声だけではなく、自身が演じる俳優の方が本懐であろう。

映画にも出演しており、「トラック野郎」シリーズが有名だろうが、中にはタモリと共演した「喜劇役者たち 九八とゲイブル」(1978)という、何とも映画としては笑えない喜劇や、大好きだった女優太地喜和子とでた「新宿馬鹿物語」(1977)が印象に残っている。

タレントである夫人とともに、劇場も立ち上げ、満足できる人生だったのではなかろうか。

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