スタッフ
監督:エドワード・ドミトリク
制作:ソル・C・シーゲル
脚本:フランクリン・コーエン、エリオット・アーノルド
撮影:ジョセフ・マクドナルド
音楽:ジョニー・グリーン
キャスト
ケリー / ウィリアム・ホールデン
ロシター大佐 / リチャード・ウィドマーク
リズ / ジャニス・ルール
ステッドマン少佐 / パトリック・オニール
チャリティ / ヴィクトリア・ショウ
ファーガスン / ロジャー・C・カーメル
ハッチャー / リチャード・ラスト
タワーズ大尉 / アーサー・フランツ
ファロウ少尉 / ドナルド・バリー
日本公開: 1966年
製作国: アメリカ ソル・C・シーゲル・プロ作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
リチャード・ウィドマークが、タフな将校を演じた作品で繋げた。ただし、今回は敗戦濃厚の南軍将校という脇役でありながら、主役を喰う存在感を見せた西部劇。
アメリカ、ヴァージニア南北戦争終盤の頃。メキシコから2500頭の牛を北軍の依頼で運んできたケリー(ウィリアム・ホールデン)。
ところが、待ち構えていた担当将校で、元弁護士ステッドマン少佐(パトリック・オニール)が、更に別な牧場へ全頭を連れて行かなければ代金を支払わないと言われてしまう。不貞腐れるケリーだが、命の次に大事な金のためには受けるしかない。
何とか、目的の牧場に到着すると出迎えたのは、美しい未亡人のチャリティ(ヴィクトリア・ショウ)。気高い雰囲気の彼女は、長旅の疲れもあるだろうから一晩だけ、という前提で一行を受け入れた。そんな彼女は、ハンサムなケリーに色目を使い、夜、二人だけで会いたいと微笑んだ。長旅の後で、断る理由もない彼は、喜んで誘いを受けた。
ステッドマン少佐に隠れて、逢瀬を始めると、突然、南軍のロシター大佐(リチャード・ウィドマーク)たちがなだれ込んで来てケリーを拉致した。
大佐らの真の目的は、飢えに苦しむ同胞たちに牛を食用として奪取することだった・・・
食用の牛を巡って繰り広げられる人間それぞれの思惑を描く西部劇。
金と女に目のない主人公。タフである。方や、飢える味方のために大量の牛を盗もうとする直情型で、どこか生真面目な南軍将校。彼もタフだ。そして、冷静でエリート意識が強く、上から目線の北軍将校。
そんな男たちが必死に守ったり、奪おうとしたりするのが2500頭の食肉用の牛。
筋運びとしては、敗戦濃厚な南軍側に肩入れしている進行。
主人公は、どうせなら勝ち組に付きたいと思っていて、南軍が牛を奪ったとしても、自分がいなければ敵陣突破は不可能と知っていて、ふてぶてしい態度を取るが、何と南軍大佐は、彼の小指を銃で吹き飛ばしてまで脅迫する。
仕方なく協力せざるを得なくなるのだが、主人公の闘争心にメラメラと火が付いていく。
従って、以後のストーリィ展開は、当然、主人公の『私怨』が絡み、脱走を試みようとしたり、南軍側を小馬鹿にする横柄な態度を取っていく。
一方で、北軍側は状況を知らないため、何故、主人公が敵側に寝返ったのかが解せないでいる。
そこに絡んでくるのが女性二人。一人は牧場の未亡人で、もう一人は戦争優先でプロポーズしないことに寂寥感を募らせているウィドマークの許嫁。二人とも別なタイプながら美人である。
脱走を試みる主人公のお目付け役となり面白くない南軍兵士や、老獪な北軍の司令官など、面白い設定のサブキャラも登場し、牛を連れての敵陣突破と派手なアクションもあるメリハリのついた進行。
脚本や展開も練られてはいるのだが、どうにも主役のホールデンがいただけない。
ふてぶてしさを漂わせ、金と女好きで、二枚目ゆえに女にもモテるのだが、徐々に南軍に感情移入していく演技が、それまでの流れからして不自然に感じた。
一方で、敵役であるウィドマークの一本筋の通った演技は見事。自分の信じる道を突き進む憎めない悪役的スタンスだが、『受け』の演技ながら、完全にホールデンを喰って天晴れである。
斜陽なジャンルになりつつあった西部劇としては、スタッフ、キャストが一団となって、まだまだ頑張るぞといった気概を感じる娯楽作である。