スタッフ
監督:ロバート・アルドリッチ
制作:マーヴ・アデルソン
脚本:ロナルド・M・コーエン、E・ヒューブッシュ
撮影:ロバート・ハウザー
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
キャスト
デル / バート・ランカスター
マッケンジー大将 / リチャード・ウィドマーク
合衆国大統領 / チャールズ・ダニング
レンフルー国防長官 / ジョセフ・コットン
パウエル / ポール・ウィンフィールド
ガルバス / バート・ヤング
ガスリー国務長官 / メルヴィン・ダグラス
タウン大尉 / リチャード・ジャッケル
ウィテカー / リーフ・エリクソン
日本公開: 1977年
製作国: アメリカ、西ドイツ ロリマー・プロ他 作品
配給: 日本ヘラルド映画
あらすじとコメント
前回、前々回と精神的に病んだ艦長が起こす悲劇を描いた作品だった。今回は海ではなく、陸で起きる核戦争勃発の可能性を秘めた士官の反乱を描いた作品。いかにもアルドリッチらしい骨太の社会派作。
アメリカ、モンタナ刑務所を脱獄した元アメリカ陸軍の大佐デル(バート・ランカスター)ら三名が、タイタン・ミサイル基地に侵入し、占拠してしまう。
すぐさま政府に対し、1000万ドルと、6年前に終結したヴェトナム戦争で当時の政府が隠蔽している秘密文書の公開、そして何と、合衆国大統領(チャールス・ダニング)を人質として要求。驚く政府側。何故、いとも簡単に核ミサイル基地が占拠されたのか、と。
それはデルが、ミサイル基地の設計者であったからだ。防衛システムから核ミサイル発射ボタンの仕組みまで熟知しており、敢えて、そこに立て籠もったとなると、そう簡単に強行突入は出来ない。しかも、デルは精神異常から収監されており、何をしでかすか予測不能であると。
しかし、大統領らは、当然、テロには屈しないという立場から、要求を拒否し、更に、デル抹殺が決定された。
その任を負ったのが、デルと旧知の仲のマッケンジー将軍(リチャード・ウィドマーク)だったことから・・・
ヴェトナム戦争時の機密情報公開を巡る駆け引きを描いた骨太作。
核ミサイル基地を占拠した脱獄囚三人。主人公以外は、大金が目的だが、元大佐には別な目的がある。
それは、自分が生涯を賭して忠誠を尽くしてきたアメリカ政府の裏切りを白日の下に晒すことだ。
だが、そんなことをされては、政府は間違いなく転覆する。
しかも、それが存在することは、現在の若い大統領は、存在すら知らない事実であり、現在でも重要ポストに就く老獪な議員たちだけの秘密という設定。鎮圧を命令されるのは、やはり老獪な将軍だ。
主人公は確かに狂気を帯びていると感じさせるが、そこはアルドリッチ。間違った方法ではあるが、『正義』を通そうとする『義憤』が浮かぶ。
だが、アルドリッチが得意とするのは「特権意識を持った上の人間たち」が『悪』で、彼らに良いように翻弄される「市井の人々」の悲劇性である。
そこに本作の若干の弱点があると感じた。つまり登場人物のほとんどが『上層部』クラスであり、対照的に描かれるのは、脱獄仲間二人と基地内の軍人のみだからだ。
そして、今までのアルドリッチらしからぬのは、アメリカの最高責任者である「大統領」の描き方。
それまで見てきたアルドリッチ作品群からすると、俄かには信じ難い設定なのだ。それでも、その描き方ゆえに、本作のイヤミさ加減が際立つのであるが。
そもそも設定とキャスティングに瞠目する。先ず、本作の内容からアメリカ国内での軍事関係施設や什器の使用許可が下りず、ほぼ西ドイツでの撮影を余儀なくされたとか。
それも踏まえた上で、1963年に起きた『キューバ危機』に材を得た『核戦争三部作』と称される「博士の異常な愛情」(1964)、「5月の7日間」(1964)、「未知への飛行」(1964)を完全に想定した上での、アルドリッチの返答だと。
キャスティングに関しては、大統領役を本作以前までは、そこそこ押し出しの良い太っちょだが、いざという時には、どこか単純で、頼りにならない「スティング」(1979)の刑事役などを演じてきたチャールス・ダニングを当てていることか。
そこからして映画ファンは、先読みを色々と馳せてしまう。
また、「5月の7日間」でアメリカ政府転覆を企てる最高司令長官を演じたバート・ランカスターが、本作でも同じように政府が転覆しかねない情報公開を要求する主役。
そして、「博士の異常な愛情」同様に、核戦争を起こそうとする発狂した司令官が鉄壁に防御された基地を閉鎖し、籠城するのも近いし、「未知への飛行」での米国大統領が、全面核戦争を起こしかねない苦渋の選択を迫られるというのも近い設定。
更には、それらの作品群の1年後に作られた、やはり狂気を帯びた艦長が、核戦争を誘発しかねない「駆逐艦ベッドフォード作戦」(1965)で、製作と主演を兼ねたリチャード・ウィドマークが本作にも出演している。
特に、ランカスターにしろ、ウィドマークにしろ、「5月の~」と「駆逐艦~」と近いキャラクター設定と演技なのが、興味深い。
それらを見てきた人間には、様々なストレートな反骨精神を描いてきた監督が放った、それらへのオマージュ的作品とも感じる。そして、アルドリッチが最も嫌う人間たちを、これほど露骨に提示した映画はないという結論。
大雑把さと力技が炸裂するのが目立つ進行だが、こんなアルドリッチ節も大好きだ。