ハッド – HUD(1962年)

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スタッフ
監督:マーティン・リット
制作:マーティン・リット、アーヴィング・ラヴェッチ
脚本:アーヴィング・ラヴェッチ、ハリエット・フランク Jr
撮影:ジェームス・ワン・ホー
音楽:エルマー・バーンスタイン

キャスト
ハッド / ポール・ニューマン
ホーマー / メルヴィン・ダグラス
アルマ / パトリシア・ニール
ロン / ブランドン・デ・ワイルド
ハーミィ / ジョン・アシュレイ
ブリス医師 / ホイット・ビッセル
ジェシー / クラハム・ベントン
ホセ / ヴァル・エーヴリィ
ピータース / カート・コンウェイ

日本公開: 1963年
製作国: アメリカ セーレム&ドーヴァー・プロ作品
配給: パラマウント


あらすじとコメント

ポール・ニューマンという俳優。大袈裟な演技ではなく、役柄を咀嚼し自然さを強調して、俳優自身の経験を加味させるという『メソッド演技』の具現者のひとり。前回扱った「パリの旅愁」(1962)の監督マーティン・リットとは五本もタッグを組む名コンビであり、今回はニューマンが本領を発揮した閉塞感漂う人間ドラマを選んでみた。

アメリカ、テキサス牧場を営むバノン一家。とはいっても、家長ホーマー(メルヴィン・ダグラス)、死んだ長男の一人息子で、孫にあたるロン(ブランドン・デ・ワイルド)、二男のハッド(ポール・ニューマン)の三人だけの男所帯である。そして、バツイチの中年家政婦アルマ(パトリシア・ニール)が、彼らの世話をしていた。

34歳にして、どこか厭世観が強いハッドは、ある朝、留守がちの亭主の夫人と浮気しているところに、ロンが探しにやって来た。お楽しみの最中だと不貞腐れるハッドだが、父親の呼集と言われれば、取り敢えず従うしかない。

牧場に戻ると、父は牛一頭が不思議な死に方をしたと言いだした・・・

成長しきれない男の生き様を周囲の人間たち共々描く人間ドラマ。

テキサスという広大な土地。只々、広く、何もない地帯。高層ビルなどなく、建物が点在するような場所である。

広大であるがゆえに、心が空虚になりやすいのだろうか。

時代を考えれば、娯楽も少なく、鬱憤の持って行き場もない。かといって家長制が色濃く残り、息子たちは強い反発にでられない。

当然、そこでも鬱憤は溜まる。そこで、主人公は小さな町に繰りだして、酒に酔って暴れ、誰構わず女性を口説くことで晴らしているのだ。

家長である父親とは、若くして死んだ長男に関しての何らかの確執もあるようで、互いに、深い川が流れている。

そして、甥にあたる長男の一人息子は17歳で、どこか引っ込み思案。それでも、主人公に憧れている。

そんな男だけの家族の中に、もう男は懲り懲りと言いながら、独特の色香を放つ中年家政婦が絡んでくる。

メインはこの四人。

内容は、一家の牧場の牛が伝染病ではないかとの疑いが起こり、もしそうであれば、牧場存亡の危機に瀕するというストーリィ。

内容といい、登場人物らの設定といい、どうにも閉塞感に溢れ、やがて時代の波に乗れず、没落していくのではないかという暗さが、全編を通して付き纏う進行である。

テーマは、年代別の男女たちの、それぞれの『ケリの付け方』。長短こそあれ、それぞれが歩んできた人生。

誰も、現状で良いとは感じていない。それでいて、前向きに生き直そうともしていない。

そんなジレンマの中で「ぬるま湯」に浸り続けている。

地味な展開だが、役者の演技が見事に調和して、テキサスの荒れ地を吹き渡る「からっ風」感に、こちらの心の中さえも乾燥させてくる。

同じように、テキサスの田舎町を舞台にどうにも派手なことが何も起きない、そこに住人たちのドラマを描いたピーター・ボクダノヴィッチの秀作「ラスト・ショー」(1971)は、登場人物らの設定や、画面構成まで影響を与えていると痛感する。

本作の俳優の中では、中年家政婦役を演じたパトリシア・ニールの存在感と、父親役のメルヴィン・ダグラスが圧倒的。

その証左に、アカデミー賞で助演女優と助演男優賞を受賞し、虚しさが染み渡る白黒部門撮影賞ではジェームス・ワン・ホーが受賞している。

ストーリィのメリハリよりも、登場人物たちの心の襞を浮かび上がらせる重い人間ドラマの佳作として印象に残る。

余談雑談 2015年9月19日
いよいよシルバー・ウィーク到来。五連休という方もいるのだろう。一挙に秋めいて来ているし、出掛ける人々は、心躍らせているだろうか。 一方、こちらは実家の漏水の修繕費用が提示され母親共々、かなり落ち込んでいる。かといって、直さぬわけにもいかぬ。