逃亡地帯 – THE CHASE(1966年)

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スタッフ
監督:アーサー・ペン
製作:サム・スピーゲル
脚本:リリアン・ヘルマン
撮影:ジョセフ・ラシェル、ロバート・サーティス
音楽:ジョン・バリー

キャスト
コールダー保安官 / マーロン・ブランド
リーヴス / ロバート・レッドフォード
アンナ / ジェーン・フォンダ
ロジャース / ジェームス・フォックス
ルビー / アンジー・ディッキンソン
ロジャース氏 / E・G・マーシャル
スチュワート / ロバート・デュヴァル
エミリー / ジャニス・ルール
ソル / ブルース・キャボット

日本公開: 1966年
製作国: アメリカ S・スピーゲル・プロ作品
配給: コロンビア


あらすじとコメント

前回扱った「渇いた太陽」(1962)と人物設定や背景が類似していて、どうにも『異母兄弟』的作品と感じるので紹介する。アメリカ南部の田舎町ゆえの、閉鎖的でいびつな人間模様を描く佳作。

アメリカ、テキサス田舎町タールの保安官コールダー(マーロン・ブランド)の元に、リーヴス(ロバート・レッドフォード)が刑務所から脱獄したという連絡が入る。彼はその町の出身で、舞い戻って来る可能性が高い。

その話を聞きつけた町の人間たちは敏感に反応した。何故なら、町を牛耳るボスの一人息子が、妻子持ちでありながら、リーヴスの妻アンナ(ジェーン・フォンダ)と不倫の関係にあったからだ。だが、ボスはそのことを知らない。

その日は、ボスの誕生日でもあり、部下たちがこぞって、パーティをしている中、妻と喧嘩した息子が平然とアンナに会いに行こうとして・・・

人間たちのエゴを見事に描破した社会派作品の佳作。

歴然と差別が存在する田舎町。その中の白人たちにも、確固たる優劣がある。

町を牛耳るボスは他人への施しで相手を威圧する。そんな父親に反抗できないボンボン。しかも、彼は脱獄囚と幼馴染みであり、かつてその妻と相思相愛でありながら、優柔不断な性格ゆえ、別な女性と政略結婚をしている。

更には、ボスの経営する銀行に勤める部下たちも、身勝手でいびつな倫理観から不倫や浮気に溺れている。

中には、妻の不貞を知りながら、何も言えない気弱な男、自分からは積極的に動けないので、『噂』を流し静かに町の人間たちを扇動する老人などがいて、その誰もが、感情移入しづらいキャラクターとして、次々と登場してくる。

そんな中で、正論を通そうとする保安官夫妻。

「孤立無援」という、正義感に燃える保安官夫妻となると、まるで、西部劇の秀作にて有名作「真昼の決闘」(1952)と同じ設定である。

しかし、時代が流れ、本作では『見て見ぬ振り』をする住人たちではなく、身勝手な正論を振りかざし、自分らの意に反する人間を集団で排除しようとする積極参加型の人間たちとして話を曲折させていく。

しかも、週末で、誰もが開放感に浸り、酒に酔っているという設定だ。

白人至上主義の田舎町ゆえの鬱積感。誰もが、自分こそ「正論の使者」と確信している、嫌な圧迫感。

脚本を書いたリリアン・ヘルマンの力量が冴えているし、監督のアーサー・ペンも本作の一年後、「俺たちに明日はない」(1967)で、アメリカ映画の歴史を変える。出演者たちも、脇に至るまで、錚々たる顔ぶれが揃っていて、見事。

屈折した田舎町の焦燥感の中で繰り広げられる、言いようのない閉塞感にべっとりと付き纏われながら見せ付けられていく、いびつな人間のエゴ。平静でいようとする、こちらの気分がどんどん悪くなっていく進行。

単純な内容ではない。見ていて嫌悪感を催す人も、多々いるに違いない。

暑苦しく、嫌な湿気を伴う展開。誰もが悪人になり得るのだと痛感させられる偏った価値観の小さな世界。

人間の弱さと脆さ。カタルシスは一切、昇華しない。それを覚悟した上で、見るべき問題作である。

余談雑談 2015年10月3日
石垣島から戻って一週間。すっかり秋めいている東京だが、未だに振り返ると、そこに八重山諸島がある気分だ。 何よりも好天に恵まれ続けたことが良い印象を強くしている。ただ、自分が離島した後に襲来した台風は、与那国島などに甚大な被害を出したし、その