チャンス – BEING THERE(1979年)

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スタッフ
監督:ハル・アシュビー
製作:アンドリュー・ブラウンズバーク、J・シュワルツマン
脚本:イエジー・コジンスキー
撮影:キャレブ・デシャネル
音楽:ジョニー・マンデル

キャスト
チャンス / ピーター・セラーズ
イヴ / シャーリー・マクレーン
ベンジャミン / メルヴィン・ダグラス
ボビー大統領 / ジャック・ウォーデン
ロバート医師 / リチャード・ダイサート
スクラピノフ / リチャード・ベイスハート
ルイーズ / ルース・アタウェイ
フランクリン / デヴィッド・クレノン
バムス / ジェローム・ヘルマン

日本公開: 1981年
製作国: アメリカ ロリマー作品
配給: 松竹富士


あらすじとコメント

個性派俳優ジャック・ウォーデン。前回の「評決」(1982)ではポール・ニューマン演じるアル中弁護士をサポートする役どころだったが、印象に強いのは秀作「十二人の怒れる男」(1957)で、ナイターに行きたがる身勝手で底が浅いセールスマン役か。そんな彼が、何と、合衆国大統領を演じた作品をチョイスした。怪優ピーター・セラーズの最後の作品で、シニカルな力作。

アメリカ、ワシントン寂びれて、忘れ去られた感のある古い屋敷に、庭師のチャンス(ピーター・セラーズ)が住み込んでいた。

ところが、家主の老人が死亡し、家屋整理のために来た弁護士に追いだされてしまう。どうやら、彼は生涯、屋敷からでたことはないらしく、友達もなく、人との接し方も知らない模様だ。まして屋敷以外の世界はテレビでしか見たことがなかった。

行き場もないまま歩いていると、とある電気店のショーウィンドウに何台もテレビが陳列してあるのに驚き、注目していると車にぶつけられて打撲を負ってしまう。

その車に乗っていたのが、財界の大物の妻エヴァ(シャーリー・マクレーン)だったことから・・・

知的人種だと思っている人間たちを痛烈に描く、シニカルなファンタジー・コメディの良作。

天涯孤独で出自も解らない主人公。外界とは一切の直接的接触を持たずに、テレビのチャンネルを変えては、見るとはなく見ることだけを生甲斐にしてきた男。

当然、情報はテレビからだけであり、虚実入り混じっていることも、ちゃんとは理解してないまま中年を迎えている。

学校に通ったこともなく文盲。そんな彼は純真無垢というか、植物のこと以外、何も知らない、まるで子供の如きである。

それが外の世界に放りだされて、事故に巻き込まれたことから、大統領をも呼びつけるほどの財界の超大物の屋敷に滞在することになる。

しかも超大物は病床に伏しており、余命幾ばくもないようだ。

ところが、その大物は、独特な主人公のオーラに魅せられ、大統領との面談にも立ち会わせてしまう。

当然、彼の発言は植物のことだけ。ところが、大統領も大物も、それが政府の経済政策に関する、実に深謀遠慮な発言と曲解してしまう。

そこから、あれよあれよとテレビや新聞社から有名人だと誤解されていく。

ところが、一切、主人公のバックヤードが解らず、更にFBIかCIAが送り込んだフィクサーではないのかという陰謀説まで浮上してきて、何ともシニカルな展開になっていく。

大統領やメディア、政治の裏を操るフィクサーに対し、白痴的善良な市民という極端な対比。アメリカの病巣ともいえる格差。当然、映画としては市井の人間こそ人間らしいと謳い上げる。

そんなバカなと思わせる進行であるが、最後の最後に、これはファンタジーだと印象付けてくる。

出演者では、死にかけの大物の年の離れた妻を演じるシャーリー・マクレーンが、コケテッシュな演技で実に可愛らしい。

しかし、何といっても、いつもやり過ぎ感の否めないセラーズの抑えに抑えた演技が、息を飲むほど素晴らしい。

しかも、本作が彼の遺作。非常にセンシティヴな印象を醸し、エンド・ロールで流れるNGシーンでは、彼の早すぎる死を想起させ、涙を禁じ得なかった。

人間の素直な発言をストレートに受けず、絶対に裏があると思って言動する人間たちに笑わせられつつ、結果、痛烈に批判していることに痛快感すら覚える、シニカルな佳作。

余談雑談 2016年1月9日
先立て、年始の挨拶を兼ねてコーヒーを飲みに行きつけの店へ出向いた。以前は、毎週一度は顔を出していたが、今は最短でも二週に一度のペース。 時間帯なのか、自分と入れ違いに客が帰り、自分ひとりと相成った。新年の挨拶を済ますと、そこの店主は、こちら