本来の冬らしい気候になった東京。暖冬とはいえ、極端に気候が変動するのは、実に体に負担が掛かると実感している。
それでも、天気の良い朝は空気が澄み、夜明けの綺麗さが目に沁みる。尤も、それだけ乾燥していることなのだが。そんな夜明けを愛でつつ、季節に関係なく40年近く続けている習慣がある。
モーニング・コーヒーである。これだけはこだわりがあり、湯を沸かし、豆を挽いてから、布ドリップで淹れる。
そのコーヒー豆を買う店も、ずっと同じ。その豆が切れそうになったので、銀座まで買いに出た。
以前は、珈琲を飲み、豆も購入したが、流石に高くなったので、ここ数年は豆だけ買い、すぐに店を辞していた。ところが、先日、経営者が変わったことを知った。
元々は、中堅印刷会社の会長が趣味で始めた店だが、信頼してた初代店長が十数年前に亡くなり、残ったスタッフで営業を続けていた。以後、スタッフは入替り続けたが、何とか継続してた。
ところが、流石に不景気で手放すことになり、焙煎までこなす人間が買い取ったのだと。
晴天の霹靂であった。初代店長の葬儀の時に印刷会社の幹部が赤字だし、閉店だろうなと言っていた。だが、会長は初代店長の思い出を残すために継続させていた。
力尽きたのだろうか。それとも思い出に終止符を打てたのか。
店はまったく同じ形態で継続しているが、新経営者を含め、現在は誰も初代のことを直接知らず、伝説としての存在である。近くに事務所を構え、初代店長の相談相手でもあり、欠かさずに毎日数度通っていた大常連も、それを機に来店しなくなったとか。
自分も初代店長とは数多くの思い出があり、突然の訃報で、滞在先の鬼怒川温泉から、急遽、駆け付けた。そして誰も受け手がいなかったので葬儀委員長まで務めた。
その通夜の晩、遅く自室に戻り、店長の好きな曲を思い出し、CDで聞いてたら突然、肩に、何かが、重くのしかかった。
初めてというか、最初で最後の体験。きっとお別れを言いに来てくれたと思い、来てくれてありがとうと思ったら、肩の力が抜けた。そして、何故か涙が流れた。
一体、あれは何だったのだろうか。かなり変わり者で、セオリー通りに焙煎せず、それでいて見事に美味かった。
かつての副店長は、彼は天才型と言っていて、誰も真似できないと。確かに、一緒に酒を飲んだ時も、どこか普通の発想じゃなかった。だからウマが合ったのかもしれない。
氷点下の朝。透き通る朝焼けに、妙にセンチになった。確かに、当時の味ではない。それでも、探究心のない自分は、他の自家焙煎の店を知らぬ。
やはり、同じ店で豆を買い続けるか。