スタッフ
監督:ジョン・G・アヴィルドセン
製作:マイケル・レヴィー J・G・アヴィルドセン
脚本:バラ・グランド
撮影:ラルフ・ボード、ジェラルド・ハーシェフェルド
音楽:ビル・コンティ
キャスト
フリードランダー / ポール・ソルヴィノ
サラ / アン・ディッチバーン
フィルモア / ニコラス・コスター
フラニー / アニタ・ダングラー
クリストファー / ターオ・ペンギリス
バーバラ / リンダ・セルマン
モネーロ / ディック・キャルバッロ
オリヴェラ / アダム・ギフォード
ルーカス / ヘクター・メルカード
日本公開: 1979年
製作国: アメリカ CIP作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
前回紹介した「泳ぐひと」(1968)は中年男の孤独な心模様を描いたドラマだった。今回は大都会で生きる冴えない中年男の心情を綴る作品で繋げた。何とも心温まる恋愛ドラマの佳作。
アメリカ、ニューヨークニューヨーク・デイリー・ニューズの有名コラムニスト、フリードランナー(ポール・ソルヴィノ)は、陽の当たらない名もなき市井の人間たちを温かい視線で描く人物だ。しかし、いつも締切に追われ、文句ばかり言う、腹のでた冴えない中年男でもあった。
今朝も徹夜で、やっと原稿を仕上げて、ベッドに倒れこんだ。ところが、そこに社から電話が入り、友軍で取材に向かってくれと告げられる。
渋々、現場に出向いた彼は、そこで被害に遭い、途方に暮れる老人から話を聞き、近くにいた警官に手助けするように依頼した。何を偉そうにと警官から侮蔑の目を向けられたが、彼が有名コラムニストだと知ると、掌を返したような態度になる。自分の名を使って、ある程度は融通が利くことを知っているのだ。それは、どの取材でも、適用されているのだろう。
彼がやっとアパートに帰宅すると、隣室を借りたいと女性が下見に来ていた。その女性は、五日後にリンカーン・センターで主役公演を控えたバレエ・ダンサーのサラ(アン・ディッチバーン)。
彼女の美しさに目を奪われた彼は・・・
大都会で必死に生きる人間たちを温かく見つめる隠れたる名作。
二枚目でもなく、腹がでた中年体型の冴えない男。しかし、彼が見つめる人々への視線は暖かい。
火災現場で焼けだされたポーランド移民の老人へ見せるまなざしや、イタリア移民だった老夫婦が開いたレストランでは、コラムで取り上げたことから絶大な信頼を得て、家族のように扱われたりする男。何となく恋人らしいダイナーの疲れた風情のウエイトレスには、結婚されたがるほど好かれている。
つまり、市井の人間に対しては、心底優しい男なのである。
そんな主人公が新たに目をかけているのが、麻薬密売人を兄に持つ、小学校にも通わないひとりの少年。彼にドラマーとしての才能を見出していて、コラムで取り上げたいと思っている。だが、そんな簡単にコミュニケーションは取れるはずもない。
そこに、年齢的に追い詰められ、更に足に異常があるバレリーナが絡んでくる展開となるのだが、主人公は彼女を恋愛対象として見てしまう。
カナダから移住してきたという彼女には、金持ちのパトロンがいるが、自分の限界を超えてまで、次のステージに賭けている、いわば崖っぷちのヒロインである。
凄まじいまでのストイックさで描かれていき、それを知らずに主人公は、仕事では人に対して暖かい視点で見ることができるが、こと恋愛になると、まったくのダメ男ぶりを発揮していく。
当然、登場人物それぞれが辿る運命があるのだが、底辺に流れるのは「優しさ」と「強さ」である。
ライターとして過ごしたことがある自分としては、本作で描かれる主人公の姿に憧れた。
夢を抱いて渡米した『移民』たちの小さな栄光と大きな挫折が描かれるのは、やはりソ連からの亡命者を扱った秀作「ハドソン河のモスコー」(1984・未)を彷彿とさせ好印象。
脇役としての印象しかないポール・ソルヴィノの演技が絶品であるが、何といっても最高の功労者は監督のジョン・G・アヴィルドセンであろう。
シルヴェスター・スタローンを一躍スターダムにのし上げた「ロッキー」(1976)を筆頭に、ポルノ映画で、決して佳作でもない作品だが、やはり脇役の印象しかないジョン・ガーフィルドを探偵役で起用した「泣く女」(1971)や、ジャック・レモンが念願のアカデミー主演男優賞を受賞した「セーヴ・ザ・タイガー」(1973・未)などを輩出している監督。
常に小市民の挫折と栄光を描き続ける監督で、どこか日本映画の成瀬巳喜男に通じる題材設定に滋味がある。
残念ながらビデオもDVDも未発売であるし、劇場公開時も東京一小さな封切館で公開されたので、完全に忘れ去られた感のある作品だが、個人的には忘れられない好編である。