天気予報が若干外れ、雨や風に耐え自室眼下の桜はまだ少し残っている。だが、ひとりの友人が散った。
15年以上も前、祖父が始めた会社を清算し、映画ライターになれそうな時期。ものは試しとネットの映画サイトに好きな作品の投稿をしてみた。
しばらくして、それに対して連絡が来た。自分も大好きで再見したいが、ビデオも出ておらず、もしやTV放送版をお持ちではないかと。
単純に嬉しかった。これから海とも山とも付かぬ自分の投稿に反応してくれたから。
未だビデオしかない時代。しかもベータでの録画だったので、VHSにならダビングできると。大変嬉しがって新橋で待ち合わせをし、画質の悪いビデオの代わりに中華料理を奢ってくれた。お互い映画好きで、映画の話が止まらず長らく話したのが初対面であった。
以後、こちらの録画数を嬉しがり、あれやこれやとお貸しした。会うと前回渡した映画の話で盛り上がった。
その方は、茨城の海に面した実家から出たくて、高校を卒業後上京し、色々経験した挙句、大好きな映像関係会社に入社し、CM制作に携わり、一泊三日の海外ロケなど苛酷な現場の話などもしてくれた。
このメルマガを始めるに当たり、様々なアドバイスもくれた。そして第一回からの読者になってくれ、扱った作品について色々と話をしてくれた。忙しいこともあり、たまにしか会わなかったが、会えばいつも映画の話ばかりしていた。
毎週土曜日は、朝起きるとPCを立ち上げ、このメルマガを見て、関連情報をネット・サーフィンするのが習慣になったと笑った。
ある時は、今、渋谷の大型レンタル店にいるのだが、どうしても映画のタイトルが思い出せず、電話が掛かってきたこともあった。内容からタイトルをお教えしたら、大変喜んで、借りて帰りますと嬉しそうに言ったこともある。
それが3・11で、実家は被災を免れたが、築130年の家に独居だった母上が、精神的におかしくなり、仕事を捨て、あれほど出たかった実家に戻った。
一度、その方を訪ね、実家近くに宿を取り、ほぼ一日、映画の話に花を咲かせた。考えれば、あれが映画の話満開の最後だった。
それ以後、長らく会わなかったが、去年の秋口に突然、こちらの地元に出て来たのでお会い出来ないかと連絡が入った。久々にお会いした時に絶句した。
信じ難いほどやせ細っていた。胃ガンになり、全摘出手術を受けたと。それでもこちらの友人で三度もガンを克服し、現在も仕事に勤しんでいるのもいるから大丈夫ですよと話した。
その時に愛読者だったからか、自分が沖縄好きなことに触れ、かつて貸した沖縄を舞台にした邦画「マブイの旅」の話を持ち出し、元気になったら、何もかも忘れ、沖縄で映画の主人公のように、やさぐれたいと。元気になったら、是非ご一緒しましょうと答えた。
それが最後だった。先週の日曜午前中、久々にその方の携帯から着信があったが、声の相手は息子さんだった。昨日、息を引き取ったと。東京で満開宣言が出た二日後。地元は凄い花見客で賑っていた。
自分にもしものことがあれば連絡をして欲しいが、葬儀等には面倒をかけないようにとの言伝だった。
先週のメルマガは読んで貰えたのだろうか。勝手な思い入れだが、毎週土曜の朝5:55の発行を心掛けている。そして、今日で555作品目の発行になる。だが、彼には読んで貰えなかった。
メルマガを始めて十年が経過し、その間には数少ない読者も減る一方ではある。
だが、このひとりの読者減は重過ぎる。60歳目前だったとか。厄年といえばそれまでだろうか。『花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけだ人生だ』か。
でも、何故、桜の時期なんだよ。