まったく収束を見せない熊本の地震。復旧活動や救援体制などは日に日に効果を上げてるようにも見えるが、避難生活を強制されてる方々にはストレスや不安は増すばかりだろう。
その影響の一端なのだろうが、先週の日曜夜のこと。突如、東京で長年お世話になっている沖縄出身の方から電話が来た。確か、熊本方面に家族等はいないはずと思いながらも何事かと。
そもそも自分が沖縄好きになったのはその方の影響である。12年も前だが、勧められて初沖縄を経験。その時に信用のおける現地の方々を紹介され、そのホスピタリティに感激し、以後、何度も訪れるようになった。
で、何用かと思ったら、息子さんが那覇にいて、搭乗予定だったフライトが、急遽、博多と鹿児島を飛ぶ臨時便となり航空会社都合でキャンセルになったとか。迷惑料を貰いホテルは予約したものの、夕食に困っていると。
はあ?、と思った。その方自身は、数年沖縄に戻ってないが、息子さんは、度々行っているはず。自分も何度も息子さんとは会って、沖縄の話をしている。
話を聞くと、特定の店のことだった。以前、その方に紹介され何度も通った飲食店が三年前に閉店し、場所を変え再営業したが、すぐ閉店した。
確かに、新たな店に行けたのは自分だけ。半年後に行った時に閉店していて驚いたことを教えたのも自分ではある。
だが、閉店したご主人の御子息が那覇の別な場所で新規に店を出した。そこに実際に行ったのも自分だけ。本州のすし店などで修業をし、創作料理の店だったが、父親から教わった沖縄料理も出来るとのことであった。
要は、自分以外に誰も行ってないから、店名や詳しい場所を教えてやって欲しいとのことだった。
息子さんの携帯番号を教わり、調べて連絡してあげた。那覇の雑踏の音が聞こえ、お手数かけますと恐縮した声。
一応、教えたが、沖縄出身者なら知ってるとは思うが、今日は日曜、そっちの人間が店を開けてると思うのかと続けた。
確かに、と苦笑いの返答。ならば他に、おススメはと。
おいおい、こっちは現地の方がやっている小さな店が好きで、そこに行くために平日しか那覇に行かないと決めているんだよ、と。
あなたらしいですね、と那覇の雑踏の声をバックに笑われた。
電話を切った後、こちらも苦笑い。何故、沖縄人が、東京にいる自分に現地の情報を尋いてくるのかね。
いつの間にか、沖縄の人にも沖縄人と認知されたってことかな。
生粋の東京っ子なのに。