スタッフ
監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作:スタニシワフ・レム
脚本:フリードリッヒ・ゲレンシュテイン、A・タルコフスキー
撮影:ワジーム・ユーソフ
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
キャスト
ハリー / ナタリア・ボンダルチュク
ケルヴィン / ドナタス・バニオニス
バートン / ウラジスラフ・ドヴォルジェッキー
サルトリウス / アナトリー・ソロニーツィン
ギバリャン / ソス・サルキシャン
スナウト / ユーリー・ヤルヴェト
ケルヴィンの父親 / ニコライ・グリニコ
アンナ / タマーラ・オドロゴニコヴァ
ギバリャンの客 / オーリガ・キズィローヴァ
日本公開: 1977年
製作国: ソ連 モス・フィルム
作品
配給: 日本海映画
あらすじとコメント
ソ連出身の監督アンドレイ・タルコフスキー。今回選んだのは、研ぎ澄まされた映像表現で、人間という存在と哲学的な意味を持つ惑星との関わりを描くSF映画の秀作。
惑星ソラリスその軌道上の宇宙ステーション惑星そのものが意思を持つと思われるソラリスの調査が暗礁に乗り上げていた。
数年前にステーションから帰還した将校の証言ビデオを見た科学者のケルヴィン(ドナタス・パニオニス)は、意志を持つ惑星と言われても、人知では想像が付かない不可思議なことが、本当にあるのかどうかと不思議に思っていた。
それでも、彼の心は更なる調査の方向に揺れ動いた。10年前に妻ハリー(ナターリア・ボンタルチュク)を亡くし、以後、孤独を引き摺りながら生きてきたケルヴィン。現在、三名の人間がステーションに残っているが、その誰もが、通常な精神状態ではないと判断されている。それでも、そこに居残っているのは何故か。
翌朝、彼は単身、宇宙ステーションに向かったが・・・
『人間』という存在の限界を問いかける静かなる秀作。
意思を持つ惑星。年月を追うごとに、益々、調査が混迷し頓挫していくのは何故か。
帰還した人間の証言は、どうにも曖昧であり、精神的に異常をきたしているかのようにも見える。しかし、証言者はどう思われようと、自分はおかしくないと言う。だが、何か、言いあぐねている雰囲気もあり、闇を抱えているようにも感じる。
一体、宇宙ステーションで何が起きているのか。
ミステリアスな幕開けから、主人公が単身ステーションに乗り込んで行き、一挙に、ミステリー・サスペンスの様相を呈してくる。
しかし、何か掴みどころのない、不安定さが沈殿しての進行。
三名いるはずの乗組員は、二名になっている。どうやら一命は自殺した模様。残る二名も、どうにも尋常じゃない雰囲気を漂わす。
彼らは、やがて主人公にも解ると言いながら、あまり語ろうとしない。そして、他には誰もいるはずがない船内に、少女や少年が存在しているという不思議なことが主人公を襲う。
幻覚なのか、事実なのか。もし存在が事実なら、どこから船内に入り込んできたのか。
荒廃した無機質な船内の不気味さ。二名は、主人公に説明し始めるが、論理的な観点なり、理性的観念では説明しようがない状況。
やがて、主人公の前に登場してくる女性がひとり。
その女性の登場から、徐々に、人間の脆弱さが際立ってくる。
惑星の海には、人間の深層心理を読み込み、それを具象化させるパワーがある。
つまりクローン製造である。ただ、生身の人間にゾンビのように襲い掛かることもなく、敵対視心をむきだしにすることもない。
かとって、実体のない亡霊や霊魂の類でもなく、生命体として存在し、会話もする。だからこそ、人間個人の精神力の強弱に影響を及ぼすのだ。
本作とキューブリックの「2001年宇宙の旅」(1968)は、その難解性で比較されることも多いが、人間の進歩の驕りが、いずれ『機械』に取って変わられてしまう「2001年宇宙の旅」に対し、本作は『大人の理性』という人間の進歩と成長が、逆にもたらす「退化」を描いているという差異がある。
また、どちらも『人間の業』を追求しようとした内容なのは、同じであるとも感じる。
VFXで視覚的に見せようとしたキューブリックに対し、印象派と抽象派の絵画を融合させたような視覚で押してくるタルコフスキー。
人間の心は無限であるが、生命体としての存在には限りがある。哲学的でもあり、宗教観も横たわる。
しかし、それは『人間』という知能を持つ生命体ゆえの素晴らしさであり、逆に、その正当性を証明しようとする詭弁性でもあるということを問いかけてくる秀作である。