相変わらず中途半端な梅雨の東京。しかも、晴れるとあきれるほど高温になったりする。
そういうときは、何か精の付くものを食べたくなるのだが、流石に「土用の丑」が近いとはいえ、鰻というわけにはいかない。
ふと思い浮かぶのが、何故か「とんかつ」。しかも、下町風の下品なものだ。上野などには有名とんかつ店も多いが、確かに美味しいのだろうが、3000円以上もかかるものは論外な性分。
好きな専門店もあるが、昨今、興味を惹かれている食堂系はどうかと。逡巡し、久しく行ってない店はどこかと考えて、浅草の北側にある「今戸」に食堂があったことを思い出した。
なので、幾分か涼しい日を選び、母に店番を頼み、出向いてみた。20年振りぐらいだろうか、店は存在し、寡黙なオヤジさんと、息子と思しき二人が厨房にいた。
カウンターに陣取り、瓶ビールととんかつ定食を注文した。カウンター越しに、手際を見ながら大きい肉ではないが、キッチリと真面目な仕事をするオヤジさんの姿に微笑んだ。
味もボリュームも、これぞ名店てな感じではないが、好きな味と店の雰囲気に入る。三十分もしないで店を出て、近くに「山谷堀公園」があるので、散歩しようと。
大根を賽銭代わりにする「待乳山聖天」の脇。名前の通り、昔は掘割で、当時を覚えている。尤も、40年以上も前の記憶だが。
その道筋でいけば、吉原に通じている。江戸時代には『柳橋から猪牙船に乗って~』と謳われ、浅草橋近辺の神田川から、小さな船で吉原を目指したものらしい。昭和には、「銀座九丁目は水の上」なる歌謡曲もあり、東京は水の都だったと感慨深く思いながらの散歩。
吉原が近付くと、妙に心がざわめいたが、まさか、そこにある高級銭湯などで、ちょいとひとっ風呂てなことは考えず、道沿いにある交差点名に興味を持った。
『紙洗橋』に『地方橋』。掘割に架かっていた橋名の名残りだ。
『地方橋』は「ちほうばし」でなく、「じかたばし」と読む。これは舞踊の踊る演者ではなく、音楽を演奏する、いわば裏方を指す言葉。成程、色街といえば、付きものだな。
一方で「紙洗橋」は何なのだろうかと。ちょいと調べたら、何でも、このあたり昔は、「紙漉き職人」が多く住んでいたらしく、素材となる樹皮を水に漬けて加工しやすくするのに、数時間を要したのだとか。
その時間を潰すのに、近くの吉原に行くが、かといって毎日遊べるはずもない。で、まあ諸説あろうし、真偽のほどは解らぬが、そこから派生した言葉が「冷やかす」とか。
膝を叩いたね。ただ風情だけを楽しむなら、金はかからぬ。これなら自分の性分にもバッチリだ。
暑い夏には、涼しい言葉。金もかからぬなら、頻繁にあちこち「冷やかし」に出歩くか。